和洋折衷の奇跡の産物、その名は「あんパン」

饅頭の進化形として誕生、明治天皇もとりこに

2011.05.13(Fri) 澁川 祐子
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 もちっとした甘い生地に、びっちりと詰まったこし餡。かじるとふんわり甘酒の匂いが広がる。真ん中のくぼみにのっている桜の塩漬けが、餡の甘さを引き立てる。

 パンというより、もはや和菓子の域。1つ食べると、決まってもう1つ食べたいという気にさせられるところがニクイ。

 「木村屋總本店」の酒種を使った、桜あんぱん(1個147円)。その記念すべき最初の1個が披露されたのは、1875(明治8)年4月4日。向島の水戸藩下屋敷を訪れた明治天皇へ、献上品として差し出されたものだった。

 作ったのは、木村屋の創業者・木村安兵衛と、その息子・英三郎である。

 安兵衛は、もともと常陸国河内郡田宮村の出の下級武士だった。維新によって職を失った安兵衛は、東京府授産所の所長を務めていた本家の当主・木村重義の口利きで、授産所の事務の仕事に就いた。授産所とは、職を失った武士のために新政府が設けた、今で言う職業訓練施設のような機関である。

丸いパンの中心には八重桜の塩漬け。中はこしあん

 安兵衛はここでパンづくりに出合い、パン屋を開くことを決心する。そして、授産所にいた長崎出身の梅吉というパン焼き職人を雇い入れ、芝日陰町(現在の新橋付近)で「文英堂」を創業したのが1869(明治2)年のことだった。

 開店はしたものの、安兵衛は梅吉の作るパンに納得していなかった。おまけに、その年の暮れには日比谷で起きた火事によって、店が全焼してしまう。これを機に梅吉を解雇。翌1870(明治3)年、尾張町(現在の銀座付近)で屋号を「木村屋」と改称し、再出発した。

コウジ種にホップ種、高度な技だったパンづくり

 パンを作るのには、酵母が欠かせない。だが、木村屋が創業した明治初頭、まだ酵母の正体は解明されていなかった。当時、パンを作るのに使われていたのは主にコウジ種とホップ種だった。

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1974年、神奈川県生まれ。東京都立大学人文学部を卒業後、フリーのライターとして食や工芸・デザインを中心に、読むこと、食べること、暮らすことをテーマとしたインタビューやルポ、書評を執筆。『森正洋の言葉。デザインの言葉。』(ナガオカケンメイ監修、美術出版社)、『最高に美しいうつわ』(SML監修、エクスナレッジ)の取材構成ほか、近著に当連載をまとめた『ニッポン定番メニュー事始め』(彩流社)がある。


食の源流探訪

日本人が日常茶飯としている定番食。あまたある食べものの中で、
なぜそれが定番になり得たのか。どのように日本化されていったのか。
「新・日本食」の源流からの流れを、歴史をひもときながら考察する。