つまり、「口から水が飲めなくなった場合の点滴」だけは全体の半数ほどの人が希望しているが。自分で食べられなくなった場合に、点滴で栄養をとることを望む人は10~13%ほどだし、鼻からチューブで流動食を入れたり、胃ろうを取り付けたりすることを希望する人は10%未満しかいないということだ。

 人工呼吸器を望む国民は、「末期がん」で8.1%だったが、「重度の心臓病」で8.0%、「認知症が進行」で6.9%と、ほぼ7~8%というところで落ち着いている。

国民が「望む」より医師が「すすめる」割合のほうが高め

 この調査は、医療従事者も対象に行われている。

 その中で、医師に対して患者に「すすめる治療方針」についても訊ねている。その結果を、一般国民に対して行った調査結果と比べてみると面白い。

 末期がんの患者に対し、「口から水が飲めなくなった場合の点滴」を「すすめる」という医師は59.5%、「すすめない」は23.3%。

「口から十分な栄養をとれなくなった場合」に、「首などから太い血管に栄養剤を点滴すること(中心静脈栄養)」を「すすめる」医師は18.6%、「すすめない」が61.4%。

 同じ場合で、経鼻栄養を「すすめる」が15.0%、「すすめない」が64.3%、胃ろうを「すすめる」は10.3%、「すすめない」は70.8%。

 人工呼吸器を「すすめる」は4.8%、「すすめない」は79.9%となっている。

 比較してみると、高度な延命治療になるほど「すすめる」の割合が減っていく傾向はほぼ一緒なのだが、よく見てみると、水が飲めなくなった場合の点滴、中心静脈栄養、経鼻栄養、胃ろうともに、国民が「望む」割合よりも、医師が「すすめる」割合のほうが数%多くなっていることに気が付く。

 逆に、人工呼吸器は、国民が「望む」割合よりも、医師が「すすめる」割合は小さい。

 この報告書から読み取れるのは、点滴や栄養チューブ、胃ろうは、一般国民(≒患者やその家族)が望む以上に、医師がすすめているのが終末期医療の実態と言えるだろう。

「専門家である医師は患者の利益を最優先に考え、最善の治療法を提供する。患者は、医師にすべてを委ねればいいのだ」という考え方のことを、医療温情主義(医療パターナリズム)という。日本はその傾向が伝統的に強い。だから、医師が提示した治療方針に対して何か意見を言いづらい。それが、日本にチューブに繋がれたまま寝たきりになっている老人が多いことの背景にあるのだろう。

 しかしそれは患者本人やその家族が思い描いていたような終末期における人生の幕の下ろし方とは一致しない場合が多い。そこで患者の死を選ぶ権利を尊重する「尊厳死法」が求められるわけだ。