日本人の原風景である四季折々の祭を演出してきた主役は、テキヤであった。テキヤについては、筆者も一宿一飯の義理があり、後日、稿を改めて、テキヤ文化の一部を紹介したいと思う。

 いずれにしても、昭和から平成後期にかけて、日本社会の「ヤクザ観」は大きく変わり、反社会的勢力として、排除の対象となった。先述したように、テキヤですらその影響を被っているのである。ちなみに、本稿ではヤクザという表現を用いているが、マスコミでは基本的に「暴力団」と表現しないと記事にはしてくれないご時世である。なぜ、そうなってしまったのか。それは、日本社会が、暴排条例というターニング・ポイントを経験したからであろう。

暴排条例という社会的排除

 2010年に福岡県が全国に先駆けて暴力団排除条例(以下、暴排条例)を制定し、2011年、東京都と沖縄県が施行したことで、全都道府県で暴排条例が施行された。この年は、島田紳助の暴力団関係記事が紙面を賑わせたことで、暴力団に注目が集まった年でもあった。

 この暴排条例が、日本社会のヤクザ観を大きく変えたと考える。なぜなら、暴排条例は、暴力団を取り締まるだけではなく、彼らと関係するカタギの市民をも取り締まりの視野に入れたからである。

 この暴排条例とは何なのか、当初はそこまで深刻に受け止められていなかった。しかし、その条例が対岸の火事ではないことが、徐々に認識されていった。なぜなら、この条例には、目的の部分に「都及び都民等の責務を明らかにする(東京都の場合)」とあり、条例が想定するのは、「都及び都民」であり、暴力団や組員に限定していないからである。

ヤクザが締め出された新宿・歌舞伎町では半グレや外国人犯罪集団が幅を利かせるようになったという

 さらに、基本理念においては「暴力団と交際しないこと、暴力団を恐れないこと、暴力団に資金を提供しないこと……都、特別区及び市町村並びに都民等の連携及び協力により推進する」云々と明記されている。そこでは、住民や企業に対して、自己責任で暴力団との関係遮断、対決をするように求めているため、暴力団のシノギである「ミカジメ」「高額な商品リ-ス」「債権回収」等からの収入源は寸断されることとなった。

 経済界からの暴排は、銀行の「金融暴排」に代表される。これには、2007年、暴排条例制定以前に公表された政府指針「企業が反社会的勢力による被害を防止するための指針」が寄与した。以降、全国で暴排条例が施行されてからは、口座開設を始めとする諸契約には、反社会的勢力に属していないかどうかのチェック項目「暴排条項」が散見されるようになり、現在では、暴力団など反社会的勢力との関係を確認する企業コンプライアンスは常識となっている。