(柳原 三佳・ノンフィクション作家)
サムライたちの服装に違和感
5月1日からフランスのパリを訪問している岸田首相。アタル首相には「ドラゴンボール」のこけしを、マクロン大統領には同じく「ドラゴンボール」の切子グラスを土産にしたことが話題になっていますが、もちろんそれが主目的ではなく、ウクライナや東アジア情勢、生成AI国際的なルール作りなど、国際社会が直面する問題についての議論が交わされる予定です。とはいえ、首脳外交での「お土産」はいつも注目されますね。
実は、フランスとの正式な外交交渉は、すでに江戸幕府から始まっていたことをご存じでしょうか。あの時代のサムライたちも、相手国への贈答品やドレスコードには、かなり気を使っていたようです。
こちらをご覧ください。これは今から162年前、パリで発刊されていた週刊新聞「LE MONDE ILLUSTRE」(1862.4.19)に掲載されたイラストです。文久2(1862)年、幕府から差し向けられた日本の遣欧使節団が、当時の皇帝・ナポレオン3世に謁見している場面です。
壇上の椅子に腰かけるナポレオン3世とその妻・ウジェニー。2人の前にうやうやしく歩み寄るのは日本のサムライたちです。右の奥にはドレスで着飾った宮廷の女性たちが大勢見守っています。
しかし、このイラストを見て、どことなく違和感を覚えた人も多いのではないでしょうか。
実は、私もそのひとりでした。目を凝らしてじっくり見ると、やはりどこかおかしい……。日本の国を代表する使節たちが、初めてフランス皇帝に会うという公式の場でありながら、彼らの着衣は、「狩衣(かりぎぬ)」という当時の正装にはどうしても見えないのです。肩のあたりにかかっている円形のマントのようなものは、いったい何なのでしょう。
さらに、足元を拡大してみましょう。
なんと、草履ではなく、靴を履いているではありませんか。
「袴に靴」といえば、坂本龍馬の肖像写真が有名ですが、あの写真は慶応元(1865)年から慶応3(1867)年の間に撮影されたものだと言われています。文久遣欧使節たちはそれより数年前、しかも歴史的外交の場で、靴を履いている姿をフランスの新聞に記録されていた、ということになるのです。いったいなぜなのか?
そこで今回は、その謎に迫ってみたいと思います。