イーストヴィレッジにあったキムズ・ビデオ(写真:Everett Collection/アフロ)イーストヴィレッジにあったキムズ・ビデオ(写真:Everett Collection/アフロ)

(元吉 烈:映像作家・フォトグラファー)

 キムズ・ビデオ(Kim's Video)の存在を知っているだろうか。キムズ・ビデオとは、2008年まで米ニューヨークの複数箇所で映画ソフトのレンタルとCD販売を手掛けた店。多くの韓国系移民と同じようにクリーニング屋を営んでいたキム・ヨンマン氏が、1987年にクリーニング屋を改装することで営業を始めたレンタルビデオショップだ。

 ニューヨーク大学で映画を学び、将来は映画監督になりたかったというキム氏の映画愛に貫かれたビデオレンタルのフロアには、世界中から収集されたブートレグ(違法コピーなどの海賊版)のVHSやDVDがところ狭しと並んでいた。

 当時、ほとんどソフト化されていなかった(日本ではされていた)ジャン=リュック・ゴダールの「映画史」をレンタルしていたことで、ゴダール本人からレンタルを止めるよう催促する手紙を受け取ったこと、映画製作会社コロンビア・ピクチャーズの訴えを受けたFBI(米連邦捜査局)の捜査員が店内から何点かのソフトを証拠として押収したなどの「伝説」に彩られている。

 一方で、レンタルショップに勤務したスタッフが後に実際に映画監督(トッド・フィリップス/「ジョーカー」監督、アレックス・ロス・ペリー/「ハー・スメル」監督、ショーン・プライス・ウィリアムス/「グッド・タイム」撮影監督)としてデビューするなど、ニューヨークの映画シーンに大きな貢献を果たしたとして、いまなおその存在を語り継がれる場所だ。

キムズ・ビデオの店内。マニアックなビデオがところ狭しと並んでいた(写真:Everett Collection/アフロ)キムズ・ビデオの店内。マニアックなビデオがところ狭しと並んでいた(写真:Everett Collection/アフロ)

 2008年に惜しまれながら閉店したキムズ・ビデオだが、約5万5000点あるコレクションは、その譲渡先を「公共的に」「すべてのソフトを一カ所に置く」施設にすることを条件としたキム氏の方針により数奇な運命を辿ることになる。

 閉店時に全ソフトの譲渡が発表された際には、ニューヨーク大学をはじめ多くの大学や公共施設から申し出があったとされるが、そのほとんどがその一部だけを取得、あるいは限定公開だったので、キム氏は譲渡先として受け入れなかった。

 彼のコレクションにはリージョン・コードの違う海外製のDVD、あるいは違法コピーされたものが多く含まれていたので、「公共的にレンタルできる組織なんてあるのだろうか?」というのは当時から筆者の周りでも言われていたが、最終的にイタリア、シチリア島西部の人口1万1000人の町、サレーミが町改革の一環として新たに建設する映像博物館に所蔵し、ソフトのすべてをデジタル化すると発表した。もちろん、キムズ・ビデオの会員には今後も継続してオンラインでレンタル可能という話である。

 キムズ・ビデオがあったイーストヴィレッジの店舗ビルにカラオケ店が入ったことに違和感を抱かなくなった2012年、ニューヨークのフリーペーパー、ヴィレッジ・ヴォイス誌に「キムズ・ビデオの奇妙な運命(The Strange Fate of Kim's Video)」と題された記事が掲載された。

 休暇で訪れたサレーミで4年経っても音沙汰のないデジタル化の行方を追う記者が見たものは、鍵の掛かった無人のオフィスの棚にごく一部のソフトが並べられ、デジタル化に使用すると思しきパソコンが置かれているのみで、4年間なにも進んでいない現状であった。

 前置きが長くなったが、ドキュメンタリー映画「キムズ・ビデオ」は、この記事をフォローする形で監督のデイヴィッド・レドマンとアシュリー・サビンがビデオカメラを携えてサレーミに行き、英語をほとんど解さない観光案内所でなんとかソフトが所蔵される倉庫を案内してもらい、そのまま無許可で潜入することから始まる珍道中を記録したアクティビズム系ドキュメンタリー映画だ。