一話読み切りが基本のこの作品、主人公たちが訳ありの妖や人と出会い、事件に巻き込まれる。やがて、事件の背景にある孤独・悲しみが解き明かされ、最後に別れを迎えたのち、時に切なさが、時にほのかな希望が残るという、王道パターンを繰り返す。不思議なことに、最初は主人公目線で話を追っているのだが、いつのまにか最後は妖の視点になり、昇華する気分も味わえるのがこの『夏目友人帳』の醍醐味の一つだ。

 人とは違うという想いが招く孤独は、物理的な孤独以上にやっかいだ。「みな同じでなくていい。みんな違っていい」と、言葉にするのは簡単だが、その境地にたどり着くには、人それぞれ長い紆余曲折もあるだろう。この作品では、この世の異分子である妖を、単なる悪霊で“消してしまえばよいもの”とは描いていない。人の心の弱さや影を映す妖は、また私たち自身の姿でもあるからだ。

 作品の中で話が進むにつれ、ずっと一人で生きていくつもりだった夏目少年が、「おれもいつか心から人を好きになれるだろうか。いつか家族を作ることができるだろうか」と空に向かって願うシーンがある。大事なことは、結論を出すことではない。もしかしたら違う道があるのか? 執着を解き自らの可能性を信じてもいいのか?・・・と、作品を読み重ねるほどに、素直な気持ちになっていける。そんなところが、長きにわたり読者に愛されてきた理由なのかもしれない。

 人と妖が織りなす夏目友人帳の世界、1話のプロローグを経てぜひ2話まで読んでほしい。人生をリセットしたいと願うあなたの心に、きっと届く何かがあるはずだ。

穂積 さよならソルシエ

 “穂積”という作家をご存じだろうか? 筆者とこの作家の出会いは、『式の前日』という6本の作品を集めた短編集だった。一見すると少女マンガには見えないニュートラルな画風と、スピード感のある会話とほどよい間、そして叙述トリックとも言えるストーリー展開に、ただならぬ新人がでてきたものだと感じた。

 今回紹介する『さよならソルシエ』は、1880年代の権威と保守に満ちたパリ画壇を舞台に、若き気鋭の画商が古き伝統を打ち破っていく様子を描いたものだ。その画商の名は、テオドルス・ファン・ゴッホ。そう、現代で最も有名な画家の一人、フィンセント・ファン・ゴッホの弟が主役の物語なのだ。

 1885年パリ、芸術アカデミーが支配する旧態依然とした制度の中、画商たちは富裕層を相手に商売をしていた。芸術を愛でるのは、特権階級のステータスであり、庶民とは縁遠いものだったのだ。そんな中、まるで人の心を読むかのような鮮やかな手腕で、絵画を取り扱う画商のテオドルスは、一部の人間からソルシエ(魔法使い)と呼ばれるほど注目を浴び、一方で古い体制側からは疎まれつつあった。

 新しい感性を持つ芸術家たちに発表の場を与え、芸術に縁のなかった庶民との接点を作ることがテオドルスの狙いだが、その背景には彼の兄、フィンセントの存在があった。子供の時から兄の才能に気づいていたテオドルスは、内に葛藤を秘めながらも兄の稀有の才能を世に広めることを、自分の使命と考えていたのである。