永和システムマネジメント本社ビルのルーフテラスに立つ平鍋健児社長

 福井市は3日前まで大雪だった。中心市街地の幹線道路は除雪され黒いアスファルトが露出していたが、道の両側にはかき集められた雪が人の背丈ほども積み上がり、三十数年ぶりという豪雪の痕跡を伝えていた。

 2月中旬、筆者が向かったのは永和システムマネジメント。福井県福井市に本社を構えるソフトウエア開発会社である。今回は“多様な働き方”の1つの形として、同社社長、平鍋健児さんのケースを紹介したい。

 平鍋さんは、日本における「アジャイル開発」の第一人者である。従来のソフトウエア開発は「ウォーターフォール型」で行われていた。ウォーターフォール型とは、事前に収集した要求を基に分析・設計・実装し、最後に全体テストをする手法だ。基本的に各工程間で後戻りは許されず、ドキュメントで工程間を伝達する。それに対してアジャイル開発は、分析、設計、実装、テストを短い期間で並列に行い、繰り返す。

(参考)連載「経営者のための『DX時代のイノベーション戦略』」
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/51448

 2000年代初頭にアジャイル開発と出会い、その効果と可能性を確信した平鍋さんは、自社でのアジャイル開発の実践、技術書の翻訳、コミュニティーの主宰、顧客企業への導入コンサルティングなどを通して、日本におけるアジャイル開発の普及を牽引してきた。

 そんな平鍋さんは、現在、福井と東京を往復する日々を送っている。平鍋さんの自宅は福井県大野市にある。

 大野で生まれた平鍋さんは、大野高校を卒業して東京大学工学部に進学。卒業後は東京で日本鋼管(現JFE)に就職し、出向先のNK-EXA(現エクサ)で3次元CADソフトやリアルタイムシステムなどの開発に従事した。仕事は順調だった。実績を積み上げ、課長への昇進も決まった。だが、平鍋さんは課長になる直前に福井にUターンし、永和システムマネジメントに入社した。それから20年が経った2015年、同社の社長に就任した。

 なぜ、平鍋さんは福井に戻ったのか。平鍋さんは今どんな働き方をしているのか、そしてエンジニアの働き方についてどう考えているのか。雪景色の街並みを見わたせる同社の一室で話を聞いた。