<しかし、そういった「伝える技術」をどれだけ教え込もうとしたところで、「伝えたい」という気持ちが子供の側にないのなら、その技術は定着していかない。では、その「伝えたい」という気持ちはどこから来るのだろう。私は、それは、「伝わらない」という経験からしか来ないのではないかと思う。
いまの子どもたちには、この「伝わらない」という経験が、決定的に不足している>

 冒頭で書いたように、「受け入れられないもの」「異質なもの」を容易に排除できてしまう社会だからこそ、「伝わらない」という経験が不足する、と捉えることもできるだろう。

 あるいは著者は、一人っ子が多くなったために、子どもが言葉で伝える以上の内容を汲み取ってしまう問題も指摘する。子供が「ケーキ!」と言えば、ケーキを出してしまう。「ケーキがどうしたの?」と問うことがコミュニケーションに繋がるのだが、その機会が失われているというのだ。

 また、少子化の影響で、小学1年生から中学3年生まで、30人1クラス、ずっとクラス替えがないという地域がたくさんあるという。そういうクラスで、「じゃあ太郎君、今から3分間スピーチね」と言われても、太郎君には喋ることがない。

 なぜなら、

<表現とは、他者を必要とする。しかし、教室に他者はいない>

からである。

 コミュニケーション能力は確かに技術ではあるかもしれないが、しかし意欲のないところに技術は育たない。「伝えたい」という意欲を持たせることが教育として一番大事なことなのではないか、と著者は主張する。

 また日本には、こんな問題もある。

<日本では、コミュニケーション能力を先天的で決定的な個人の資質、あるいは本人の努力など人格に関わる深刻なものと捉える傾向があり、それが問題を無用に複雑にしていると私は感じている>