他人の感情が見えるのなら、人間関係がもっとスムーズに行くのではないか・・・。そんな風に感じる人もいるかもしれない。けれど、この作品ではそうはならない。彼らはお互いにお互いの感情が読み取れるのに、それでもなお徹底的にすれ違っていくのだ。

 ある意味でそれは、当然かもしれない。なぜなら彼らは、感情を見ることはできるが、その理由までは分からないからだ。なぜ彼が今「嬉しい」のか、なぜ彼女が今「悲しい」のか。そういうことまでは彼らの能力では分からない。その感情が発露される原因をあれこれ考えすぎて、結局よく分からなくなる。そんな風に、彼らはすれ違っていくのだ。

 しかしこの作品の良さは、まさにそのすれ違っていく点にある。彼らは感情が見えてしまうが故に、他人との関わりについて余計に考えなければならなくなる。その過程で彼らはどんどんと、自分より他人のことを優先的に考える人間になる。しかしその一方で、自分「だけ」がズルをして他人の感情を見ているので、そういうズルに基づいてしか他人の気持ちを推し量れない自分自身のことを冷たい人間だ、と捉えるようになってしまう。他人の感情が見えてしまうが故のすれ違いも面白いのだが、自分と他人の捉え方によるすれ違いも作中で上手く描かれており、それらが入り交じったすれ違いが、学校という場で発露されることで起こる物語の展開が実に読ませるのだ。

「伝わらない」という経験の大切さ

わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か』の著者、平田オリザは劇作家として著名な人物だ。それまであった演劇らしい演劇ではなく、口語による演劇を打ち出して世に広めた。そんな著者が、大学教授としてコミュニケーション教育に携わるようになり、その過程で感じてきた様々な違和感をベースに本書が書かれている。

 様々なテーマで語られる作品であり、そのすべてを語ることはできないが、本書の中心的なテーマである「コミュニケーション教育の問題点」についてここでは書いてみる。

 現在は盛んに、コミュニケーション能力の重要性が指摘されているが、そもそも若い世代には、コミュニケーションのための意欲が低下しているのではないか、と著者は指摘する。それを、こんな風に表現している。