蒸し料理ブームの裏で、蒸し器は“台所の肥やし”に?

変わるキッチン(第17回)~蒸す

2015.10.30(Fri) 澁川 祐子
筆者プロフィール&コラム概要

 甑が使われ始めた時期については諸説ある。一般には、穀物を栽培するようになった弥生時代からと言われている。だが、この時代の甑は小さな甕(かめ)型土器で、炊事用ではなく祭祀用の儀器だったのではないかという説もある。いずれにしても、大きな甕型土器の甑が現れる古墳時代には、蒸すという調理が本格的に行われるようになっていた。

 古い時代の甑がどのようなものだったかというと、現代の蒸し器と基本的に構造は同じだ。甑には、底に蒸気を通すための穴が開いている。その底の上に材料がこぼれないよう粗い布などを敷いて、材料を載せる。その甑を水の入った甕にかけ、薪を燃やして甕を加熱すれば、蒸気が下から上がり、底穴を通って内部の食材を蒸してくれる。

 甑の語源は「炊(かし)く」だと言われている。甑は当初、「強飯(こわいい)」を作るのに用いられていた。強飯とは、もち米を蒸したもの、つまり、いまで言う「おこわ」である。強飯は、祭りなどの特別なときに食べられることが多かった。

 おこわの代表である赤飯はいまでも、祝いの席で食べられている。さらに祝いの席につきものの餅や酒も「蒸す」とは無関係ではない。餅は蒸した米を搗いたものであるし、酒もまた蒸した米を醸造したものである。つまり、「蒸す」はもともとハレの日の食事と切っても切れないものだったのである。

「蒸籠」を「せいろ」と読む理由は饅頭から?

 いまの時代、昔ながらの蒸す道具と言えば蒸籠だろう。ならば、いつ頃から甑は蒸籠に取って代わられたのだろうか。

 平安時代になると、それまでの土器に代わり、木製の甑が登場する。最初は、薄い板を曲げて円形にする曲げものが用いられていた。単に曲げものの底に穴を開けただけのもののほか、底を抜いて支えとなる木を渡し、簀子(すのこ)などを敷いたものも使われていた。

 底を抜くことで蒸気の通りも良くなったうえに軽くなり、2段、3段と重ねられるようになった。これがいまでも使われている蒸籠の原型である。

角型の蒸籠。釜の上に載せて、饅頭やもち米などを蒸す。丸い形状の蒸籠もある

 さらに鎌倉時代末期になって結桶(ゆいおけ)が登場すると、結桶をアレンジした甑も作られるようになる。結桶とは、板を円筒形に隙間なく並べてタガで締めたものである。

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1974年、神奈川県生まれ。東京都立大学人文学部を卒業後、フリーのライターとして食や工芸・デザインを中心に、読むこと、食べること、暮らすことをテーマとしたインタビューやルポ、書評を執筆。『森正洋の言葉。デザインの言葉。』(ナガオカケンメイ監修、美術出版社)、『最高に美しいうつわ』(SML監修、エクスナレッジ)の取材構成ほか、近著に当連載をまとめた『ニッポン定番メニュー事始め』(彩流社)がある。


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