ビッグデータという言葉が人の口に上るようになって、どれほどが経つでしょうか?
私自身、比較的最近まで、その意味するところをきちんと理解していなかった面があると、このところ反省しています。
「デファクト・スタンダード奪取」としての「ビッグデータ」の持つリスクに今回は注目してみましょう。
この原稿はベルリンからアムステルダムへの移動中に書いていますが、フィレンツェ、ミュンヘン、ベルリンなど各地で、問題意識の共通する議論を立て続けに耳にしました。
インターネット事始め
やや古い話から説き起こしてみましょう。1995年、私は当時30歳でしたが、喧伝され始めた「IT革命」なる言葉に、様々な思惑を感じつつネットユーザとして環境に順応していったのを覚えています。
素粒子物理実験の国際ネットワークにつながっていたので、電子メールやチャット、現在使っているようなSNSに近い感覚を1980年代半ばから経験していたので、システム自体には違和感はありませんでした。
ただ、当時はすべてのドメインがほぼ明らかで、
「ああ、ブルックヘブンのAさんがこんなことを言ってるんだな」とか、「CERNに行ってるBさんはシスアドとして優秀かつ親切だ」なんてことが分かった。文字しか扱えない時代でしたがはるかに「人の顔が見えた」グローバルネットワークの牧歌的な揺籃期でした。
翻って95年以降の「インターネット」はどうだったか?