私たちが何気なく使っているお金(本当に、何気なく使っているわけですが・・・)そのお金の価値が、どの程度の永続性を持っているのか。
資産価値の基準とは何か、またそれが人間の一生を超えて永続する価値になるとは、どのようなことであるのか?
ややまどろっこしく思われるかとも想像しつつ、古きを尋ね新しきを知る方向で、財貨の価値を考えているのは「安全が確保されるのに10万年はかかる」などという言葉だけが独り歩きしている、長半減期放射性物質管理の安全性を考えているからです。
どうやって長期の管理を担保する「基本財」を考えることができるのか?
そもそも10万年後にホモサピエンスが存続している保証はありませんが、10万年以前に最初の1万年、その前に最初の1000年永続する体制を本気で考えねば、その先の保証など何一つないでしょう。
このような遠い未来にわたって資産経済を実体経済と結びつける上で何が必要不可欠な条件なのか?
それを考えるうえで、過去に遡って私たち人類の歩みを確認してみたいと思うわけです。
かつての日本で何が財貨の尺度だったのか?
そこでまず、私たちの住む日本という国、正確には政府が違いますから、この地域で過去数百年にわたって通用してきた財貨から考えてみたいと思います。
封建制度の下では、大名の資産「禄高」は「石」を単位にしていました。「いし」ではなく「こく」と読む「石」です。
「かがひゃくまんごく 加賀百万石」とか「さんじっこくににんぶち 三十石二人扶持」とか言う時の「こく」ですが、これはいったいどのような単位だったのでしょう?
一万石以上の石高を持つ武士は「大名」と呼ばれました。詳細は専門家に譲りますがお大名になると江戸城への登城の権利=参勤交代の義務を負うなど、様々な制約を受けたようです。逆に幕臣の旗本の中にはもっと少ない石高の禄を食みながら、大名以上に公務員として強い権限を持った人もいたらしい。
今考えてみたいのはこの「1石」という単位です。「いっこく」は人1人が1年間に食べることができる分量の米、ないし、それが取れるだけの農地面積などを表す単位でした。