高校生になって初めて外で、関西風のお好み焼きを食べたときの驚きといったらなかった。計量カップのような容器に生地が入っていて、その上にキャベツや肉、卵といった具がてんこ盛りになっている。これを付属のスプーンで、こぼれないようにぐちゃぐちゃと混ぜ合わせてから、熱くなった鉄板の上で自ら焼く。大阪の人に怒られることを覚悟で言うが、これが店で出す料理なのだろうかと内心思った。
それというのも私の両親は広島出身で、家でお好み焼きをやるとなると、当たり前のように広島風のお好み焼きを作って食べていたからだ。
お好み焼きを焼くのは、ふだん料理をしない父の担当だった。ホットプレートの上に水で溶いた小麦粉をお玉でクレープ状に薄く伸ばし、その上にカツオ節をふりかけ、キャベツやもやしをこれでもかというぐらいに高々と盛っていく。合間に天かすを散らし、てっぺんには豚バラ肉をのせて、つなぎ用に生地をまわしかける。それらを2本のコテで素早くひっくり返す。
このとき、躊躇は禁物である。ためらったりすれば、野菜はすぐさま四方へ飛び散り、中身が空中分解してしまう。ひと思いに「えいや」と返す度胸が必要だ。「お金に困ったら、お好み焼き屋をやるか」が口癖だった父は、子どもの私が言うのもなんだが、なかなかの腕前だった。
そうして大仕事を終えて野菜を蒸し焼きにしているあいだ、横で卵を割って丸く伸ばす。焼きそばを入れる場合は、このときに準備する。そして、焼きそば、卵の順に重ねて最後にもう一度ひっくり返す。広島風お好み焼きには欠かせない「オタフクソース」(実家では常備)をたっぷりと上から塗り、青海苔を散らして完成。一部始終を見守っていた私の口にようやく収まるのだった。
このようにアクロバティックな動きを経て出来上がる広島風のお好み焼きにくらべ、関西風のお好み焼きの作り方は簡単だ。ゆえに、広島風しか知らなかった私にとって、関西風はやや物足りなく感じられたのだ。
いまとなってはふっくらと焼きあげられた関西風のお好み焼きも好きだが、どちらかと言えばなじみ深い広島風に惹かれる。同じお好み焼きという名前であっても、私の中ではこの2つは依然として違う料理であり続けている。
材料も似ているのに、別ものに捉えてしまうほどの違いはどこで生まれたのだろうか。