2012年の貿易収支の数値が示す通り、技術立国、そして貿易立国としての日本の足元が揺らいでいる。このコラムでずっと指摘してきているように、それは「円高などの世界経済状況」や「グローバルな製造業の変態に対する対応の遅れ」などの表面的な事由よりももっと深いところで進行していた「日本が生み出す『製品』そのものの劣化」が表面に浮かび上がりつつある状況なのだと受け止めた方がいい。

 そこに警鐘を鳴らすだけでなく、地滑り的に進行する可能性さえある「技術立国・日本」の弱体化をいかに支えるか、再生させるかを考えることが、3年あまり前にこの連載をスタートさせた最大のテーマなのである。今さら・・・の再確認ではあるけれども。

 さて、その視点から前回ご紹介した「最新スモールカー」の実力読み解きを「日本車の『製品力』向上」に結びつけるのには何を考え、いかに取り組めばいいのか。今回はそこに焦点を移して語ってみたい。

 前回も、そしてこれまでにも何度となく書いてきたように、「4人の大人を乗せて様々な移動に使える必要十分な移動空間」は、自動車が大衆の消費財となってから80年ほどにわたって、乗用車の基本であり続けている。ミニマムトランスポーテーションとしては「2人用の空間」に切り詰めても対応可能な使用状況は多いはずだが、消費財としての乗用車として成功した例はない。もちろん「個人が楽しむためのクルマ」になれば、市場の選択は変わってくるわけだが。

 そしてこの「(乗用車としての)ユーテリィティミニマム」に分類されるクルマたちは、今日も世界で最も多くの消費者が選択の対象にする商品セグメントなのは、前回指摘した通りである。

 その世界市場は厳しい。利益幅が小さいからと、既存の設計をコピーアンドペーストし、見た目だけ変えて「お茶を濁し」、ただただコスト削減に盲進したプロダクツでは、みるみる競争力を失う。そうした製品でよければ、世界レベルのサプライヤーから集めた今日標準の部品をそれなりの骨格に組み込むという手法で、中国他の後発メーカーでも送り出すことができる時代が来ているからだ。言うまでもなく日本車は、コストでは彼らに対抗できない。市場におけるコストパフォーマンスでは韓国車に追い抜かれている。これも以前のこのコラム「販売実績、決算が語る厳しい現実、海外メーカーに置いていかれる日本勢」でも分析した通りだ。

個別技術を積み上げるだけで「進化」していない日本メーカー

 そのシビアな競争の中で日本車がその存在を認められ、プラスアルファのコストを投じても購入しよう、という顧客を確保し続けるためには、どこに向かえばいいのだろうか。