ちゃんぽんを初めて食べたのはたぶん小学生の頃、実家の近くにいまもある「リンガーハット」でだったと思う。リンガーハットとは、長崎で誕生し全国にチェーン展開をしているちゃんぽんの店だ。

 記憶が不確かなのは、それほどちゃんぽんに衝撃を受けなかったからだろう。長らく、ちゃんぽんとは無縁の食生活を送ってきた。だが、この数年来は年に何度かちゃんぽんを食べている。というのも、都内でお気に入りの店を見つけたからだ。

 その店のちゃんぽんは、なんといってもスープが美味しい。白濁したスープには、魚介や肉、野菜のうまみが凝縮され、ほどよく塩味が利いている。具は、どっさり盛られたキャベツやモヤシ、アサリやイカなどの魚介に豚肉、キクラゲやシイタケ、さらには薩摩揚げと色鮮やかなピンクのかまぼこ。

 てんこ盛りの具を箸でかきわけ、まずはスープを一口。それから具をつまみつつ、黄みがかった太い麺に取りかかる。ほどよくスープを吸った麺のモチモチとした食感がたまらない。

 栄養もボリュームも、一皿で言うことなし。それでいて、値段も手頃。庶民の味方として申し分のない料理である。

長崎のみならず全国各地で食べられるようになったちゃんぽん。濃厚な白濁スープが太麺によくからむ。

 だが、よくよく考えてみれば、ちゃんぽんは特異な料理だ。ラーメンとも違うし、かといって中華料理でもないし、和食とも言いがたい。あえてカテゴライズするなら、長崎のご当地料理か。最近でこそ、ご当地グルメは珍しくないが、ちゃんぽんほど昔から全国に知られ、なおかつ生麺やインスタント麺まで市販されている例はまれだろう。

 この独自の立ち位置はいったいどのように確立されたのか。今回は、ちゃんぽんの誕生に迫ってみよう。

誕生の地は四海樓か、丸山か

 ちゃんぽんの誕生説で最も有名なのは、明治30年代に中華料理店「四海樓」創業者の陳平順が考案したという話だ。

 19歳で福建省から長崎に渡ってきた陳は、1899(明治32)年に四海樓を開店。貧しい中国人留学生に安くて栄養があり、お腹いっぱいになる料理を食べさせたいと考えた。そこで、福建の郷土料理である湯肉絲麺(トンニイシイメン、豚肉の細切りが入った湯麺)をアレンジして、野菜くずや肉の切れ端、近海で獲れた魚介を炒め、鶏ガラに豚骨を加えた濃いめのスープを注ぎ、麺を加えて煮込んだ「支那饂飩」を完成させた。これが後にちゃんぽんと呼ばれるようになったという説である。