“商売あがったり”が進化させた「日本のアイス」

抹茶、あずき、最中・・・和の溶け合う独自の氷菓子に

2012.08.17(Fri) 澁川 祐子
筆者プロフィール&コラム概要

 厳しい暑さをほんの一瞬、忘れさせてくれるアイスクリーム。この冷たいデザートを初めて口にしたとされる日本人の1人は、「味は至って甘く、口中に入るるに忽ち溶けて、誠に美味なり。之をアイスクリンといふ」と、その感動を日記に綴った。

 記したのは、幕府の遣米使節団に随行していた柳川当清。1860(万延元)年のことである。サンフランシスコに到着した一行は、首都ワシントンに向かうため、アメリカ政府の迎船フィラデルフィア号に乗り込んだ。その船中で、アイスクリームに出合ったのである。

 舌の上ですっと溶ける甘い菓子に、どんなにか驚いたことだろう。あまりに美味しかったため、その場にいなかった仲間の分まで持ち帰ろうとアイスを懐紙に包んで懐に入れておいたところ、溶けて服までベトベトになってしまった、なんて笑い話も伝えられている。

 それから150年余り。いまでは、夏が来るたびに新商品が発売され、様々なバリエーションを味わうことができる。

 日本アイスクリーム協会調査の「アイスクリーム白書2010」によると、いちばん人気のフレーバーはバニラ。2位はチョコレート、3位はミルク。4位以下は、ストロベリー、抹茶、クッキー&クリーム、あずき、ソーダ味と続く。抹茶、あずきといった和風アイスも大健闘だ。

 150年余りの間に、どんな創意工夫があったのか。今回は、日本のアイスクリームの歴史をたどりながら、和風アイスが生まれた過程を探ってみよう。

「あいすくりん」誕生から銀座名物へ

 日本で初めてアイスクリームが販売されたのは、1865(慶応元)年。横浜の外国人居留地で、アメリカ人のリチャード・リズレーが輸入米とともにアイスクリームを売り出した。日本人としては1869(明治2)年、町田房蔵という人物が横浜の馬車道で氷水屋を開き、氷と塩を用いたアイスクリーム「あいすくりん」を製造販売したのが最初である。

 町田は2度の渡米経験があり、氷の製法のほか、マッチや石鹸、造船用鋲の製造法も学んで帰国。帰ってきてまず手がけたのが、製氷業だった。一説には、日本人で初めてアメリカに密航したと言われる農林技師の出島(いずしま)松造からアイスクリームの製法を学んだとも伝えられている。

 だが、発売した年は惨憺たる結果に終わったらしい。たまに外国人が買うくらいで「本邦人は之を縦覧するのみ。店主為に当初の目的を失し大いに損耗す」(『横浜沿革誌』太田久好著・発行、1892年)というありさまだった。

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1974年、神奈川県生まれ。東京都立大学人文学部を卒業後、フリーのライターとして食や工芸・デザインを中心に、読むこと、食べること、暮らすことをテーマとしたインタビューやルポ、書評を執筆。『森正洋の言葉。デザインの言葉。』(ナガオカケンメイ監修、美術出版社)、『最高に美しいうつわ』(SML監修、エクスナレッジ)の取材構成ほか、近著に当連載をまとめた『ニッポン定番メニュー事始め』(彩流社)がある。


食の源流探訪

日本人が日常茶飯としている定番食。あまたある食べものの中で、
なぜそれが定番になり得たのか。どのように日本化されていったのか。
「新・日本食」の源流からの流れを、歴史をひもときながら考察する。