21世紀に入った初年、東京大学工学部で、これからの日本を支える人材育成の基本として「ジェネラリスト教育はいらない、必要なのはジェネラルな業務もできるスペシャリスト」と指針を定め、当時の小宮山宏・工学部長以下「教育プロジェクト室」の取り組みが進んだこと、私自身もその中の一員として仕事した立場から前回ご紹介しました。

 ちなみに小宮山さんは工学部長のあと副学長を経て東京大学総長に就任され、4年の任期の間に様々な仕事に取り組まれました。

 私が小宮山さんのお手伝いをさせていただいたのは副学長時代までで、総長になってから全学規模での「教育の取り組み」ではご一緒していません。

 しかし率直に言って、そんなに大きな教育上の変化が小宮山総長時代の東大全学にあったとは思っていません。

 大学というのはなかなか動きにくいところです。例えば「学部」が違えば別の学校です。工学部がこうだったから理学部もそうだ、なんて具合には絶対にいかない。また、医学部や農学部など理系ならまだ通用する話が、法学部や経済学部ではほとんど通じない。

 そんな寄り合い所帯である日本の旧帝国大学が、任期数年の改革で本質的に良い方向に変化すれば儲けものと思いますが、実際にはそうはなっていない。

 特に今回は、前回以来の「ジェネラリスト」と「スペシャリスト」という対比・対立が「文系」「理系」という区別と深く関わる面があることを見てみたいと思うのです。


専門の不可分な理工系? 専門がないかもしれない文系?

 先に乱暴なことを言ってしまいましょう。多くの理系では「専門」が存在しています。例えば「理学部を出ました」ということはなくて「理学部物理学科」とか「理学部化学科」とか、学問分野としての専門があります。

 お医者さんなど最たるものでしょう。医師というだけでも専門家ですが、さらに「内科」「外科」「小児科」「産科」・・・診療科目で分かれる以上に、同じ内科でも「消化器内科」「呼吸器内科」「循環器内科」などなど、さらに細かく分かれている。

 理学部、工学部、薬学部、医学部、農学部・・・一般に『理科』に分別される大学学部では、こうした専門分化がほぼ不可分です。

 東大に関しては、そうした縦割りの「弊害面」も考慮して『教養学部基礎科学科』などの横断的な学科もつくられています。

 しかし、そこで教える各先生方は間違いなくご自分の分野の第一人者で、まさに小宮山さんが言われるような意味で「ジェネラルなサイエンスもできる超一流のスペシャリスト」が多い。