今回は「バカになるとリコウになる」というお話のお好み焼きをひっくり返す番でした。つまり「リコウになるとバカになる」。
もっと正確に言えば「自分がリコウだと思い込んでいるときは、たいがいその人はバカになっている」というようなケースに気をつけたいのです。
一番分かりやすい例はお役所の「前例主義」でしょう。何か社会的な問題があったとします。お役所がこれに対応するとき、基本となるのは、幸か不幸か「前例」ですね。
ここで、大変お利口な人がいて、いろいろな前例をやたらたくさん知っているとしましょう。あのときはああだった、このときはこうだった・・・と。
で「今回はコウじゃないカナ」と、もっぱら前例を参考に、つまり今回の例をきちんと見ずにパターンで判断したりする。
そこに落とし穴があることが多いわけです。
おリコウさんがバカになる理由
「前例尊重」は決して役所だけの特徴ではありません。例えば「判例」あるいは「症例」を考えてみましょう。
「判例」は、言うまでもなく裁判の判決での前例です。ある事件と「よく似た事件」での、旧来の判決事例を「尊重」するとして、実際には似ても似つかないケースと同様の結論をゴリ押ししたら、いったいどういうことになるか・・・あまりリコウなことにはなりそうにありません。
同じように、あるいはもっとよくないかもしれないのは「症例」です。
外来で患者さんがやって来た。症状を訴えている。ふむふむ、ああ、よくある「風邪の症状」です。お薬出しておきましょうね・・・と、別の症例と思い込んでパターンで処理するマナー、つまりマンネリズムで見逃して、実は誤診で重大な初期症状を見逃していた・・・なんてことになったら、患者はそれこそエラい災難です。
これらに共通するのは何でしょう?・・・目の前をきちんと見ていない。記憶と前例のパターンに頼ってやっつけようとしている。つまり、過去のお勉強の記憶に頼り、お利口に振る舞うことで、極めて愚かな振る舞いをしているわけですね。