荒涼とした中東からインドに入ると、それまでの乾燥した空気とは違う、濃厚とも思えるような大気に包まれ、山の樹林は瑞々しい鮮やかな青葉や深緑に彩られている。湿った大地には豊穣で柔らかい土の匂いが漂い、市場は動物や人や果樹の芳烈を放ち、活気に満ちている。インドに入ると私は、生命の息吹を実感した。

 ガンジス川の聖地バラナシに昼過ぎに到着した私は、腹ごしらえをしようと大きな扇風機の回る日本食のある食堂で、久々にオムライスを頬張った。すると、ちょび髭を生やし腹の出た中年インド人が、日本の学生風の4人組を捕まえて日本語で説教をしているのが耳に入った。

 「あなたたちはインド人に騙されて、高いツアーを組まされたと言う。でも、インド人を悪く言ってはいけない。池にいる魚の1匹が悪くても、全部が悪いわけではないでしょう。人間も一緒です。旅行代理店はあなたたちのために旅行を手配しました。仕事なんだから手数料を取るの当たり前。宿も予約してもらって、列車の切符も買ってもらったのでしょ? タダで人のために仕事をやる人がいますか? あなたは見ず知らずのインド人のためにタダ働きしますか? あなたは高かったと言うけど、それは勉強代ですよ」

 ピアスに茶髪の4人の若者は、へらへらと薄笑いを浮かべて、しっぽを巻くように席を立った。

 日本語の達者なインド人は、かすかに苦笑すると、私を見ながら独り言のように「人間の苦楽はすべて行いの結果、根本的にはカルマ因果。だが、本人の行いと神の意志によって、結果を変えられるんだ。何も言わないで、納得してついてきて、世話になって、それで高いなんて言っちゃ駄目だよな」と言うと、隣の席に腰をかけた。

 私は思わず感心して、「随分と含蓄ある話を、流暢な日本語で話しますね」と水を向けると「ここは小さな日本だよ」と臆面もない。

 彼の名前はゴバールという。ヒンドゥーの神であるヴィシュヌの数ある名前の1つだという。彼によるとバラナシでは、30人以上の日本人女性が現地のインド人と結婚して、ゲストハウスやレストラン、土産物屋などを営んでいるという。彼の兄弟も日本人女性と結婚しているらしい。私はこの無名の哲学者の兄弟が経営する、日本人妻のいるホテルに宿泊することにした。

日本人妻と洒落者の中年インド人

 日本人妻がいるという5階建てホテルのオーナーは、名前をサヴィトリという。年齢は50歳。温厚で礼儀正しい紳士で、以前にイギリスで教育を受けたことがあるという。ストライプの入った長袖のYシャツを羽織っている洒落た中年だ。

 日本人妻は意外に若く32歳。香川県出身で康子という。小柄で元気な働き者の女性だ。夫婦の年の差は18歳。2人の間には2歳の娘と生後3カ月の乳飲み子がいる。

 日本人の若妻を持つ50歳の洒落者の中年インド人を見ていると、羨望と共に「私にもまだまだ若妻をめとる可能性があるではないか?」と、妙に勇気づけられる思いがした。

 気温が50度近くに達する酷暑のこの時期、観光客は少なく日本人の宿泊客は私ひとりのようだ。灼熱の日が暮れた頃、テラスでビールを飲みながら、ガンガー(ガンジス川)の心地よい風を愉しんでいると、若妻が乳飲み子を抱えて、近くのデッキチェアに腰をかけた。