揚げ物ではなかった「とんかつ」誕生秘話

豚肉の炒め焼きが遂げた画期的な進化とは

2011.06.10(Fri) 澁川 祐子
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 <ポークカツレツとトンカツとは、どう違うかといえば、肉が薄くて、ウスターソースをジャブジャブかけて、ナイフとフォークで食うのがポークカツであり、肉が厚くて、トンカツソースがかかっていて、適宜に切ってあって、箸で食うのがトンカツなのである>

 肉厚のポークカツレツ、つまり「とんかつ」を、日本で初めて売り出したのは1929(昭和4)年、東京上野御徒町の「ポンチ軒」だといわれている。考案したのは、元宮内省の大膳職でコックを務めていた島田信二郎だ。

 島田は、今も上野で営業している「ぽん多本家」の創業者でもある。創業は1905(明治38)年なので、とんかつの調理法を編み出した昭和初期の頃は、一時雇われで「ポンチ軒」に勤めていた可能性が高い。ちなみに「ポンチ軒」のほうは、第2次世界大戦で東京大空襲に遭って廃業し、いまはない。

 島田は、箸でも食べられる柔らかいポークカツレツをつくろうと改良を重ねた。そして、3センチ近くある分厚い肉にじっくりと時間をかけて火を通す調理法を考案したのである。揚げ油の温度を調節しながら、中心までしっかり火を通す。てんぷらで培った熟練の技をポークカツレツに応用することで、とんかつは生まれた。

 『とんかつの誕生』(講談社、2000年)で、著者の岡田哲は、<とんかつのおいしさのなかに、世界の他の料理にはみられない、豚ヒレ肉の厚切りの利用がある>と述べている。牛肉の厚切りは、揚げたら固くなってしまう。豚ヒレ肉は柔らか過ぎて、一般に料理の素材として好まれず、ハムやソーセージの原料にしかならない。だが、この柔らかさに注目して、独自の加熱法で調理したものがとんかつだというのだ。

 時期を同じくして、「とんかつ」という呼び名も登場する。

 一説には島田が名付け親だと言われているが、「ぽん多本家」のメニューでは今も「カツレツ」となっており、島田が命名したとは考えにくい。ほかに「ポンチ軒」の主人が命名した説、上野の「楽天」という店が初めて「トンカツ」という看板を出した説など諸説あるが、定かではない。

 1936(昭和11)年に制作された小津安二郎監督の映画『一人息子』では、笠智衆扮するとんかつ屋の主人が登場する。また、1939(昭和14)年刊行の『洋食と支那料理』という料理本には、カツレツの項に、こう説明がある。

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1974年、神奈川県生まれ。東京都立大学人文学部を卒業後、フリーのライターとして食や工芸・デザインを中心に、読むこと、食べること、暮らすことをテーマとしたインタビューやルポ、書評を執筆。『森正洋の言葉。デザインの言葉。』(ナガオカケンメイ監修、美術出版社)、『最高に美しいうつわ』(SML監修、エクスナレッジ)の取材構成ほか、近著に当連載をまとめた『ニッポン定番メニュー事始め』(彩流社)がある。


食の源流探訪

日本人が日常茶飯としている定番食。あまたある食べものの中で、
なぜそれが定番になり得たのか。どのように日本化されていったのか。
「新・日本食」の源流からの流れを、歴史をひもときながら考察する。