揚げ物ではなかった「とんかつ」誕生秘話

豚肉の炒め焼きが遂げた画期的な進化とは

2011.06.10(Fri) 澁川 祐子
筆者プロフィール&コラム概要

 創業は1895(明治28)年。現在のようなポークカツレツを売り出したのは、店を構えてから4年後の1899(明治32)年のことだ。

 当時、カツレツはとても手のかかる料理だった。肉を一枚一枚ソテーして、オーブンに入れて加熱する。しかも、脂っこくて日本人の客にはあまりウケがよくない。

 そこで木田は、てんぷらをヒントに、小麦粉、溶き卵、生パン粉をつけ、たっぷりの油を用いてカラッと揚げることを思いついた。これなら油の始末もいちいちしなくて済むし、一度に2枚、3枚と揚げられる。この際、付け合わせの温野菜も刻んだ生キャベツに代えたら、調理も楽なうえに、さっぱりとしていて料理との相性もいいのではないか。

 こうして誕生した、揚げもの料理としてのカツレツとキャベツの組み合わせは「煉瓦亭」の名物となり、やがて全国に広まっていく。

 だが、まだ当時はポークカツレツよりもビーフカツレツやチキンカツレツのほうが人気だった。

 明治の女性誌『女鑑』の1895(明治28)年12月刊行号には、カツレツのレシピが載っているが、材料は「牛肉又は鳥肉」となっている。1903(明治36)年に報知新聞に連載された村井弦斎の小説『食道楽』でも、カツレツの材料として鳥や牛、羊は出てきても、豚は登場しない。料理本に「ポークカツレツ」が登場するようになるのは、大正時代になってからのことだ。

 牛鍋が文明開化の象徴だったことからも分かるとおり、明治時代を通じて肉といえば牛肉が花形だった。牛肉にかわって、豚肉が庶民の食材として広まったのは、日清・日露戦争がきっかけであるといわれている。滋養が高いとされる牛肉が軍事食料に使われるようになり、牛肉が不足した結果、豚肉が注目されるようになったのである。

 明治時代末期から大正期にかけて、次第に広まりつつあったポークカツレツ。だが、それがとんかつへと変貌を遂げ、庶民の味として広く受け入れられるには昭和の時期をまたがねばならなかった。

箸で食べられるポークカツレツ「とんかつ」が誕生

 ところで、ポークカツレツと、とんかつの違いはなんだろうか。

 映画監督の山本嘉次郎は、食のエッセイ『日本三大洋食考』(昭文社出版部、1973年)のなかで、次のように的確に語っている。

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1974年、神奈川県生まれ。東京都立大学人文学部を卒業後、フリーのライターとして食や工芸・デザインを中心に、読むこと、食べること、暮らすことをテーマとしたインタビューやルポ、書評を執筆。『森正洋の言葉。デザインの言葉。』(ナガオカケンメイ監修、美術出版社)、『最高に美しいうつわ』(SML監修、エクスナレッジ)の取材構成ほか、近著に当連載をまとめた『ニッポン定番メニュー事始め』(彩流社)がある。


食の源流探訪

日本人が日常茶飯としている定番食。あまたある食べものの中で、
なぜそれが定番になり得たのか。どのように日本化されていったのか。
「新・日本食」の源流からの流れを、歴史をひもときながら考察する。