生物界における突然変異のように、一人の個人が誰も予期せぬ巨大なイノベーションを起こすことがある。そのような奇跡はなぜ起こるのか? 本連載では『イノベーション全史』(BOW&PARTNERS)の著書がある京都大学産官学連携本部イノベーション・マネジメント・サイエンスの特定教授・木谷哲夫氏が、「イノベーター」個人に焦点を当て、イノベーションを起こすための条件は何かを探っていく。
連載第3回は、旅行業界に大変革をもたらしたエアビーアンドビー創業者のブライアン・チェスキーに迫る。
旅行業界の「超」イノベーション
民泊サービスのエアビーアンドビーは、世界中で年間3億人以上の宿泊者を迎えている世界最大級の旅行関連企業である。エアビーアンドビーの売上高は年々増加しており、コロナ禍の影響から回復し、さらなる成長を遂げている。売上高は2023年には約85億ドル(約1兆円)を超え、時価総額は739億ドル、日本円で約11兆円だ(1ドル145円、2024年8月23日)。
この巨大企業を創業したブライアン・チェスキーは、もともとは食い詰めた美術大学の卒業生だった。友人と3人でエアビーアンドビーを創業した後もしばらく誰にも相手にされず、食うにも困る極貧生活を送っていたのである。
数多のイノベーターの中でも特異な経歴を持つチェスキーが、どのように一大産業を創り上げたのだろうか? 今に至るまでイノベーションを継続できるのはなぜか? そして、日本という場所でチェスキーから何を学べるのだろうか?
ブライアン・チェスキーは1981年ニューヨーク州北部に生まれた。2024年の現在、まだ43歳のバリバリの経営者である。両親はどちらも社会福祉士で豊かではなかったが、子供たちのために必死に働いてきた。高校の美術教師から「息子さんはいつか有名なアーティストになりますよ」と言われたこともあり、息子のアートに対する興味関心の追求を熱心に支援した。
息子がアメリカ美大の最高峰と名高いロードアイランドスクールオブデザイン(RISD)に合格し、両親は飛び上がるほど喜んだが、実際は美大出身で食べていけるのか、貧乏芸術家になるのではないかと心配していた。両親を失望させたくなかったチェスキーは、大学在学中に専攻をイラストから工業デザインに変えた。その方がまともな仕事を見つけられると思ったからだ。
美大でチェスキーは、後の起業パートナーとなるジョー・ゲビアと出会う。2人が初めて共同でデザインをすることになったのはヘアドライヤーなどのメーカーであるコン・エアーの研究プロジェクトでだった。このプロジェクトで2人が出したアイデアは独創性にあふれたもので、他の学生がドライヤーのデザインをしている中、2人は未来のコン・エアーについて考え、石鹸でできた洗い流せるシャツを提案したという。