元・ソニー 主席、旧・ソニー中村研究所 設立時取締役 豊島文雄氏元・ソニー 主席、旧・ソニー中村研究所 設立時取締役 豊島文雄氏(撮影:木賣美紀)

 数々の画期的ヒット商品によって、世の中に新しいライフスタイルを次々と生み出してきたソニー。その原動力は、創業者・井深大(いぶか・まさる)氏の製品開発論にあった。井深氏の製品開発思想の根底にあったものは何か。また、盟友・本田宗一郎氏との間に見られた共通点とは。前編に続き、『ソニ-AI技術 井深大とホンダジェット 本田宗一郎の遺訓』(ごま書房新社)を出版した豊島文雄氏に、両者の生き方・遺訓から、現代のリーダーが受け継ぐべきことを聞いた。

【前編】創業者・井深大が語っていた驚きの予言 ソニーの「未来を描く力」の源泉とは
■【後編】意気投合した井深大と本田宗一郎、ソニー・ホンダ「アフィーラ」誕生の必然(今回)

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日本初・世界初を連発した「新製品開発の極意」

――前編では、著書『ソニーAI技術 井深大とホンダジェット 本田宗一郎の遺訓』で紹介されている井深氏の予言や、同氏の経営哲学に関するエピソードについて聞きました。井深氏が創業したソニーは、トランジスタラジオ、トリニトロンカラーテレビなど「日本初・世界初」の製品を次々に開発し、世の中に新しいライフスタイルをつくり出しました。日本の電子立国化をもたらした井深氏の製品開発の根底にある考え方は、どのようなものだったのでしょうか。

豊島 文雄/元・ソニー 主席、旧・ソニー中村研究所 設立時取締役

早稲田大学理工学研究科修士課程卒、1973年ソニー(株)入社。ウォークマン発売6年前のテープレコーダ部署に配属。その後、カメラ&ビデオ事業部等を歴任。1986年ソニーの幹部クラスの直属スタッフ・企画業務室長を務めながら1998年主席(マネジメント研究分野の部長級専門職)、2002年ソニー中村研究所(株)設立時取締役。2007年、井深大の経営手法と人生哲学を啓蒙する「(株)1・10・100経営」を起業。ソニー現役時代を含め延べ6000名を研修した実績がある。著書に 『井深大の箴言』『ソニーAI技術 井深大とホンダジェット 本田宗一郎の遺訓: 戦後の技術立国 日本のレジェンド』(ごま書房新社刊)。

豊島文雄氏(以下敬称略) 井深氏の製品開発に対する考え方をまとめたものとして、「F-CAPS」(Flexible Control and Programing System)があります。これは、1970年10月に東京・大手町の経団連会館で開催された「第1回イノベーション国際会議」の講演で、井深氏が「新製品の開発に際して私の採った手法」と題して語ったものです。F-CAPSは6つの考え方から成り立っています。

 一つ目は「最終製品のイメージ・目的を明確化する」です。新製品の開発に当たっては、トップが「北極星(魅力的なゴール)」の姿を明確に描き、それをメンバーと共有することが重要、ということです。井深氏の場合、それは常に「新しいライフスタイル」を世の中に生み出すことでした。例えば、世界初のトランジスタラジオにおける北極星は、「ポケットに入れて聞けるラジオ」となります。

 二つ目は、「プロジェクトの成否は、誰をリーダーに選ぶかで決まる」です。井深氏は自身の経験や他社の成功事例を調べる中で、「成功要因はメンバーの技量よりも、リーダーの力量にある」と考えていました。

 プロジェクトには浮き沈みがあります。組織の創造性を高めるためには、どんな時でもリーダーがメンバーの不安を払拭(ふっしょく)し、仕事に専念できる環境を整えることが重要だ、と話していました。

 三つ目は「3つの制約を1点に絞り、開発の不確実性をカバーする」です。ここでは優等生的なリーダーが犯しがちな失敗について触れられています。