マクドナルドの店舗(写真:森田直樹/アフロ)

 いまや子どもから年配者まで誰もが食べる「国民食」となったハンバーガー。これを日本に持ち込み、全国津々浦々にまで広めたのが、日本マクドナルドの創業者・藤田田(ふじた・でん)氏だ。1号店がオープンしたのは1971年。それから半世紀が過ぎ、日本の食文化は大きく変わった。

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■孫正義をも嘆かせた日本マクドナルド・藤田田のリアリズム(2024年1月10日公開予定)

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「必ず失敗する」と言われていたマクドナルド1号店

 世界経済を牽引するメガプラットフォーマー「GAFAM」。その多くの創業者がユダヤ系だ。グーグル創業者のラリー・ペイジ、アップル創業者のスティーブ・ジョブス、メタ(旧フェイスブック)創業者のマーク・ザッカーバーグ、マイクロソフト創業者のビル・ゲイツ、いずれもユダヤ系アメリカ人だ。このことからも分かるように、ユダヤ人のビジネスセンスは天才的だ。

 今では日本にも多くのユダヤ人が暮らし、また訪れているが、5、60年前までは、ほとんどの日本人はユダヤ人に接したことがなかった。ところがシェイクスピアの「ベニスの商人」はよく知られており、そのため「ユダヤ人は優秀だけど金の亡者」とのイメージが刷り込まれていた。

 そんな時代に自ら「銀座のユダヤ人」を名乗っていたのが、「日本ファストフードの父」である日本マクドナルド創業者の藤田田氏(1926─2004)だ。

2001年、事業展開などについて記者の質問に答える藤田田・日本マクドナルド社長(当時/写真:共同通信社)

 日本のファストフードは1971年7月20日、銀座三越の銀座通りに面した一角にマクドナルド1号店がオープンしたことから始まった。

 極めて小さな店でテイクアウト専門。買った人は必然的に銀座通りをハンバーガーを頬張りながら歩くことになる。今でこそ日常的な風景だが、1971年当時は行儀が悪いと後ろ指をさされる行為だった。そのためオープン前には「日本には定着しない。必ず失敗する」と外食関係者の多くが思っていた。ところがそうではなかった。

 マクドナルド1号店のオープン1年前、都内4カ所で歩行者天国が始まった。銀座通りもその一つだった。マクドナルドはそれを追い風として利用した。銀座のホコ天をハンバーガーを食べながら闊歩することが、たちまち若者のトレンドになり、マックは日本の外食の常識を裏切って人気店になっていった。ここから立ち食いソバや牛丼ではない、欧米流ファストフードが日本全国に広がっていった。

 このムーブメントを起こしたのが藤田氏で、日本の外食文化に革命を起こしたといっていい。

1971(昭和46)年7月20日、東京・銀座に開店した「日本マクドナルド」の1号店(写真:共同通信社)