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 世界最大級の日用消費財メーカーP&Gの元CEOA・G・ラフリー氏は、「Thinkers50」に選ばれた戦略顧問のロジャー・L・マーティン氏とともに、10年間で売り上げを2倍に、利益を4倍に、市場価値を1000億ドル以上向上させた。本連載では、戦略とは何か、どう立て、どう実行に移せばよいかについて余すところなく語りつくした『P&G式 「勝つために戦う」戦略』(A・G・ラフリー、ロジャー・L・マーティン著/パンローリング)より、内容の一部を抜粋・再編集。ファブリーズ、パンパースといった象徴的なブランドで、同社が繰り返し勝利してきた秘訣を明らかにする。

 第2回目は、1990年代後半にP&Gが取り組んだスキンケア・ブランドの再生について解説する。

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<連載ラインアップ>
第1回 P&Gの売り上げを2倍、利益を4倍にした元CEOが語る「戦略」の核心
■第2回 業界の常識をひっくり返したP&Gのスキンケア・ブランド「オレイ」の再生戦略(本稿)
第3回 P&Gの圧倒的な競争優位性を生み出す原動力となった「アスピレーション」とは
第4回 強みを生かして勝つための、P&G式「戦場の選び方」と「戦法」とは?
第5回 P&Gの「5つの中核的能力」とライバルが模倣できない独自の組み合わせとは?

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P&G式「勝ために戦う」戦略』(パンローリング)
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 一九九〇年代後半、P&G(プロクター・アンド・ギャンブル)はスキンケア分野で明確な勝利を切望していた。スキンケアは、美容産業全体(せっけん、洗顔料、美容液、ローションその他)の四分の一を占め、高収益をもたらす可能性を秘めていた。

 成功すればヘアケア、化粧品、そして香水など他の美容カテゴリー並みの強い消費者ロイヤルティ(忠誠心)が得られる。さらに、スキンケア分野で得た技術や消費者知見は、他分野に十分に応用できる。

 P&Gが美容産業で地歩を固めるにはヘアケアとスキンケアのトップブランドが必要だったが、スキンケアが泣きどころだった。特にオイル・オブ・オレイは苦戦していた。P&Gには他にもスキンケア・ブランドはあったが、これが圧倒的な大型ブランドで知名度も高かった。

 残念ながら、このブランドは古臭く、ぱっとしないと思われていた。「オイル・オブ・オールド・レディ」などと揶揄(やゆ)されるのも、あながち的外れでもなかった。顧客層は、年々、高齢化するばかりだったからだ。スキンケア商品を選ぶ女性たちは、他のもっと魅力的なブランドに流れていた。

 オイル・オブ・オレイの中核商品(シンプルなプラスチック容器入りのピンクのクリーム)は、ドラッグストアを中心に三・九九ドルの目玉価格で売られ、それでも伸長著しいスキンケア分野で満足に戦えずにいた。一九九〇年代後半、このブランドの売り上げは年額八億ドルを割り込み、五〇〇億ドル規模のスキンケア・カテゴリーのリーダーにはほど遠かった。

 こうした事情が、困難な戦略的選択と、様々な対応策の選択肢を生んでいた。オイル・オブ・オレイには手をつけず、新世代の消費者向けに新ブランドを開発する手もあった。だがスキンケア・ブランドをゼロから作り、トップブランド級まで持っていくには何年も、いや何十年もかかりかねなかった。もっと手っ取り早く、エスティーローダーのクリニークやニベア等の既存の強いスキンケア・ブランドを買収し、より手堅く競争する手もあった。

 だが買収は高価で投機的である。さらに、それまでの一〇年間、P&Gはいくつかの買収案件に乗り出したあげく成功していなかった。自社の強い美容ブランド、例えばカバーガール等をスキンケア・カテゴリーに拡大展開する手もあった。だがこれもばくちである。強い化粧品ブランドでさえ、スキンケア市場で根付かせるのは大変だ。

 そこで結局、P&Gは衰えているがいまだ価値を失ってはいないオイル・オブ・オレイで、新たなセグメント(区分)で競争する道を選んだ。しかしこれはブランド・イメージを一新することを意味する。成功する保証もない大きな投資だった。だが、特に正しい後押しをしてやれば、まだ可能性はありそうだった。

 救いは、オイル・オブ・オレイには高い消費者認知度が残っていたことだった。優秀なマーケターなら誰でも、試用には認知が先立つことを知っている。当時オイル・オブ・オレイの北米担当ブランドマネジャーだったマイケル・クレムスキーは、状況をこう総括している。「まだ可能性は十分に残っていました。しかし計画は全くありませんでした」。

 担当チームは可能性を計画に変えたいと思っていた。オイル・オブ・オレイのブランド、ビジネスモデル、パッケージと製品そのもの、価値提案、名前までを作りかえる計画である。こうしてこのブランドは、「オイル・オブ」を外し「オレイ」として再出発することになった。