2018年、古くから女性が少ない業界として知られている電線業界に画期的な出来事が起こり大きなニュースとして伝えられた。研究者出身の長谷川隆代(はせがわ・たかよ)氏が、電線大手SWCC(旧昭和電線ホールディングス)の代表取締役社長に就任したのだ。長谷川氏はまだ男女雇用機会均等法が施行されていない1984年に入社し、研究室長、子会社の役員を務めるなど同社のビジネスをけん引してきた。「30・40代の女性リーダー育成は急務」と語る長谷川社長に、女性が活躍する職場をつくるためのキーポイントを聞いた。
相変わらず女性の登用が進まない日本社会。どうすれば日本に女性リーダーを増やすことができるのでしょうか。本特集では、リーダーとして活躍する女性自身や、女性リーダーの登用を進める企業の経営者、制度・環境づくりに取り組むキーパーソンへのインタビューを通し、女性リーダーが活躍する日本を実現するためのヒントを探ります。
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「偉くなりたい」と思ったことは一度もない
――長谷川さんは1984年に昭和電線電纜(当時)に入社して以来、一貫して研究者のキャリアを歩み、直近15年は役員・社長として会社を統括する立場で活躍してこられました。入社時は男女雇用機会均等法の施行前ですが、世の中や会社はどのような状況でしたか。
長谷川隆代氏(以下敬称略) 当時は男女で就職の違いがまだ当たり前にある時代でした。私が当社に入社したのも、「ここなら研究者として働けるよ」と先輩に教えてもらったからです。他の多くの企業では、女性=事務職、と職種が固定されていました。
そんな当社でも、入社したときは「女性専用の事務服」を着るのが決まりでした。工場で勤務するのに、ブカブカのジャケットを着ないといけなかったのですよ。今の若い人は分からないかもしれませんね(笑)。男性は作業服を支給されていて、私と同期の女性2人は、事務服の下にジーンズ。工場での作業だから危ないし、なんかヘンテコだなぁと当時は思っていました。
その後、研究者として働き続け、工場のライン長である課長職に34歳で就任しました。外から見ると、順調に出世街道を歩んできたように思われるかもしれませんが、私自身は「偉くなろう」と思ったことは一度もないんです。ただ、研究者としてやりたい仕事をやってきただけ。その成果が評価され、子会社の役員、そして2018年に社外取締役からの強い推薦で、社長になりました。
――入社された当時と比較すると、世の中は随分変わったという印象がありますか?
長谷川 私のキャリアを振り返ると、「女性の社会進出」はこの40年で、本当に進んだなとしみじみ思います。今は私が入社した1980年代と比較すると、職種別採用は当たり前で、女性の役職者も珍しくなくなってきました。
今、働いている女性、特に理化学系の研究者には「とにかく、アンコンシャス・バイアスを外そう」というアドバイスを送りたいと思います。アンコンシャス・バイアスとは「無意識の思い込み」を意味します。「女性だから、役職には就けないのではないか」「頑張っても評価されないのではないか」「出産・育児というライフイベントと仕事を両立できないのではないか」という思い込みがある人も多いのではないでしょうか。ですが、自分で自分の限界を決めてしまうのは、本当にもったいない。一度「できるか、できないか」は度外視して、「(その仕事を)やりたいか、やりたくないか」を正直に考えてみると良いと思います。