TBSは今、とてもアクティブに動いている。地上波放送以外の多様なメディアやNetflixなど大手プラットフォーマーにもコンテンツを提供、ニュース情報アプリを全面的にリニューアルしたり、2028年稼働を目指した赤坂エンタテインメント・シティ計画などの施策が目白押しだ。経営的には、2030年までに放送事業「外」収入を全体の60%までに引き上げるとしている。こうしたジャンプアップに、デジタルの最新機能や効率化が寄与することは想像に難くないが、同社のDXのキーマンは「こんなものではない。これからもっとすごいDXをやらなければならない」と話す。デジタルの疾走感に負けぬよう、放送局の枠を超えたコンテンツグループへ変貌するTBSの「今」を聞いた。

DXは制作現場の工夫の結果から始まった

 取材冒頭、向山氏は「前提として、会社として決まったDX戦略があるわけではないです」と発言した。とはいえ報道発表などを見ると、同社はこの1、2年、AIを活用したリアルタイム字幕生成システム「もじぱ」や、リモート出演ツール「TBS BELL」*1などを開発している。こうした成果はDX戦略なしには生まれにくい。

*1:リモート出演ツールの開発にはAWS社のAmazon Chime SDK(会議システムのAmazon Chimeの機能をベースにしたソフトウエア開発キット)を用いた

 しかし向山氏は、これらはテレビも含めた全てのメディアに起きているデジタル変革への対応のためで、制作現場それぞれの工夫の積み重ねだと言う。「TBSはメディアグループからコンテンツグループに変わろうとしています。なぜなら旧来の電波や紙を使ったメディアは、スマートフォンの台頭に代表されるようにインターネットに押されてきているからです。TBSは、消極的に言えば生き残るため、積極的に言えばインターネットの存在を理解した上で、より良い新しいコンテンツを世に送り出したいと思っています」と向山氏は、メディア業界を取り巻く困難から抜け出し、さらに輝くためにデジタルを使うと語る。

向山 明生/TBSテレビ 執行役員 IT戦略担当

東京出身、新卒で東京放送に入社。報道畑を進み、ワシントン支局勤務、「筑紫哲也ニュース23」の編集長、「サンデーモーニング」のプロデューサー、経済部長などを歴任。数年前から技術IT部門に転じ、現在はTBSの業務や事業のDXを通じて、世界に通じる新たなコンテンツ作りをサポート。

 向山氏のこうした発言は、2021年に佐々木卓社長のもとでTBSグループの経営計画として打ち出された「VISION2030」と呼応するもので、さらにVISION2030は同グループのブランドプロミス「最高の“時”で、明日の世界をつくる」達成のためのロードマップでもある。

「より良い新しいコンテンツを世に送り出す」ために、同社はEDGE戦略と称してデジタル(D)、グローバル(G)、エクスペリエンス(E)の3分野のエキスパンド=拡張(E)にフォーカスしており、デジタルに親和性が高いコンテンツをグローバルに展開し、ハリーポッター劇場などのライブなエクスペリエンス(体験)を充実させたいと考えている。

 向山氏も「実現のために、放送・ネット向けの報道や制作、それからスポーツ部門、ライブエンタメやライフスタイルなどの事業部門を含め、皆が必死に変わろうとしています」と述べる。そのためデジタル活用が必須な部分は多い。「そこを僕ら、技術、システム、デザイン系の人たちがサポートする。こうした動きが僕らのDXです」と向山氏はTBSのデジタルについて説明する。

リモートワークの増加は、コンテンツ制作現場にも良い影響を与えた

 ちなみに向山氏いわく、社内業務のデジタル化という「小さなDX」は、2017年ごろから進んでいた。当時の武田信二社長(現会長)の旗振りで全社アンケート「今、TBSは何をすべきか」を実施したところ、1つに業務のデジタル環境整備やクラウド化が提案された。

 この提案はプロジェクト化され、GSuite(現在のGoogle Workspace)でグループ全体約8000人のアカウントを作成し、メール、ファイル、ドライブなどのクラウド共有を実施、スマートフォンも全員に配布し、営業職のみだった名刺管理ソフト「Sansan」も全員参加に変えた。上司への決済伺いや稟議書などもペーパーレス、デジタル化してしまった。だから2020年のコロナ禍によるテレワーク移行は「楽に行えた」(向山氏)という。

 こうした業務のデジタル化やコロナ禍によるリモートワークの増加は、コンテンツの制作現場にも良い影響を与えた。リモート出演ツール「TBS BELL」の自社開発は、コロナ禍で出演者や視聴者が1カ所に集まれない、ならばビデオ会議システムでテレビ画面に集合してもらおう。ただ既存のビデオツールでは画面にうまくきれいに収まらない、じゃあ自分たち向けに作っちゃえという流れで生まれた。