始動力の欠如に気づき始めた人々

 さて、話を“一般的な”世界の人たちの方に戻しましょう。このままで本当に良いのかという危機感がいま日本全体に急速に広がりつつあります。

 群馬県では職員育成や県民への働きかけにおいて、私の著書も引用する形で「始動人育成」のコンセプトを掲げるようになりましたし、県内中高生を対象にした「始動人Jr.キャンプ」という取り組みも始めています。また富山県では、私が座長になって人材育成の新しい方針を作成しましたが、そのキャッチフレーズは、「職員一人ひとりが自ら考えて“始動”する富山県へ」となりました。知事肝いりでつけられたフレーズです。冒頭の神戸市の研修は、「リーダーシップ(始動力)研修」です。このように〈始動〉を重視する動きが広がって来ている実感があります。

 考えてみれば、世界を動かすのは人々の始動力です。アメリカの産業界の現状をみればそれを実感できると思います。いまアメリカ経済を牽引しているのはGAFAとよばれるような巨大なテック企業です。GoogleにしてもAppleにしてもMeta(Facebook)にしてもAmazonにしても、みな創業者が強烈な変革マインドを持って会社を立ち上げ、社会を大きく変えるビジネスを生み出してきました。

 いま最もぶっ飛んだ変革マインドをもっているリーダーはEVのテスラや宇宙開発のスペースXの創業者イーロン・マスクでしょう。破天荒な言動で知られるマスクは、決してマネジメント力が優れているわけではありません。彼の伝記を読んでも、部下の使い方などは滅茶苦茶です。そのかわり、とてつもない始動力があります。ですからテスラやスペースX以外にも、ツイッターを買収したり、チャットGPTを手掛けるオープンAIを元々アルトマン氏と共に設立したりしています。始動力のかたまりのような人物です。そういう人物が社会に革新をもたらし、経済を強力に動かしているのです。

 そういう始動力を持った人間が、人間的に素晴らしい人物かとか、幸せな人生を送れるのかというのはまた別の問題です。社会の絶えざる革新・進歩を推し進めるためには「空気を読み、周りの意見をよく聞いて」というマネジメントスタイルだけでは不十分なのです。始動力という意味でのリーダーシップと、的確な運営というマネジメント力の合わせ技が必要なのです。