人はなぜ「綾鷹」で高級茶をイメージする?

 多くの読者がご存じと思いますが、コカ・コーラ社が新しい緑茶飲料として2007年10月に立ち上げた「綾鷹」というブランドがあります。

 ペットボトルで飲んでいるのに、急須で入れたような味わいのある緑茶飲料の開発・・・といった「モノ」づくりのプロセスとともにこの商品を開発するにあたって宇治の老舗茶舗「上林春松本店」で、江戸時代後期、11代目「上林春松」が発売した銘茶「綾鷹」の名を引用して、ブランドとして命名されたことが、コカ・コーラのホームページに載っています。

 これが、日本人ユーザの意識の底にある「和」「伝統」「高級感」といったサブリミナル購買嗜好に合致したわけですね。

 でも、なぜ「綾鷹」で「高級感」をイメージするのか。

 そういうメカニズムを推量して「日本人の心に突き刺さる」「売れる商品名、キャッチフレーズ」を探る力は、現代語だけ見ていても育ちません。

 ペットボトル緑茶は伊藤園の「お~いお茶」が圧倒的に強く4割のシェアを誇るのに対して、サントリーの「伊右衛門」、コカ・コーラの「綾鷹」が25%ずつを分け合い、両者を合わせると王者と見える「お~いお茶」を凌駕している。

 よくよく考えると「お~い」というのは、ジェンダー的に問題がある可能性がありますが、ここでは金子兜太さんと対策を考えた「お~いお茶」の「俳句募集」が直面した問題群、子供がネットから既存の俳句をパクって投稿する問題、昨今は生成AIの濫用などに触れておきましょう。

 この「お~い」と「伊右衛門」「綾鷹」でシェアの9割が押さえられている。こうしたビジネスの背後にある消費者心理を検討、新たな対策を立てるのに、現代文だけではほとんど無力です。

 様々な時代背景を参照しながら、マーケットの集合的無意識にアプローチするしたたかな知恵を持つ代理店やクリエーターが、覇を競い合う現状を押さえておきましょう。

「伊右衛門」だと庶民、町人がイメージされます。

 これに対して「綾」は高級織物、また「鷹」は旗本大名の「お鷹狩」などがあるからでしょうか、あるいは猛禽の鋭い眼光などより高級なイメージを惹起する可能性が考えられる。

「お~いお茶」の庶民性と別の、来客に対して「良いものをお出ししてるんですよ」感などにつながるかもしれない。

 などなど・・紆余曲折はあったものの、結局「綾鷹」は現状でシェア25%、「伊右衛門」と並んで同率2位の商品にまで育った。

 その背景を担当されたマーケッターの方が語っておられましたので、リンクしておきます。

 要するに「役に立たない」ではなく「役に立てる能力があるか?ないの?」という話だということです。

「お~いお茶」や「伊右衛門」には普段着の気安さがある。

「綾鷹」だと、それらとちょっと違うブランドの差別感が醸し出される。そういう感覚がある人と、全く育たない人の別は「有職故実」の有無で分かれます。

 ちなみに音楽だと、課題だけ解いて入ってきた人は、仕事の世界では生き残れません。

 私は高校1年生のとき、当時、東京藝術大学助教授だった野田暉行先生から「ベートーベン、モーツァルトなど古典の総譜を300冊、血肉化しなさい」と指導され、10代の間に500曲程度、楽曲を詳細に暗譜するよう自分に課しました。

 これが一生の宝になり、今現在も全集録音を進めていますが、人生を支えてもらっています。物理でも数学でも、そういう人が歴史に残る仕事をしています。

 近視眼的な開発競争から、ロングレンジで世界を変える規模のものはあまり出てきません。根が浅い、底が透けて見える促成栽培はすぐに忘れてしまい、人一人の生涯を支える教養とはなり難い。

 日本語の古典や古語を学ぶ利点の一つは、日常生活で使っている言語を表層の意味だけで流すのではなく、その奥に潜むマーケットの潜在意識、サブリミナルに切り込む有効なツールになりうることを、JBpressのビジネスプレスとしての横顔念頭に、強調しておきます。