私が、内外のイラン人に本音を聞くと、「宗教指導者による政治にはもううんざり」という声や、「まだ王様による統治のほうがましではないか」という主張すら出てきた。

反米・反イスラエルのイラン

 イランでは、1979年1月にパフレヴィー王朝が倒れ、亡命先のパリから帰国したシーア派最高指導者のホメイニ師が、1979年2月11日に政権に就き、国名もイラン・イスラム共和国に変えた。その統治は、シャリア(イスラム法)に基づく厳格なもので、女性は外出時にはヘジャブの着用を義務化された。

 また、イスラエルを国家として認めず、殲滅する対象だとした。

 新政権は、革命の混乱でメジャーズが撤退したために、石油の国有化を行い、原油の輸出を制限し、その結果、石油価格が高騰し、第二次石油ショックを引き起こした。

 1979年11月には、学生らがアメリカ大使館を占拠し、大使館員52人を人質にとって立て籠もった。アメリカのカーター政権は、翌年の4月に、ペルシャ湾に展開する空母から救出作戦を試みたが、ヘリコプターの故障で失敗し、11月の大統領選挙でレーガンに敗れている。

 このイスラム革命から45年が経つが、それ以来、アメリカ人はイランに対して不信感を抱き続けている。

 アメリカのトランプ政権は、2018年にイランとの核合意から離脱し、イランに制裁を科した。それも、経済状況の悪化を招いている。