革命防衛隊は「革命の輸出」も

 ダマスカスで標的となったイラン革命防衛隊は、最高指導者に直属し、国軍とは別の指揮系統にあります。その歴史は、米国と切っても切り離せません。

 1979年、イランではシーア派のホメイニ師が率いるイスラム教の原理主義勢力が、親米のパーレビ王政を倒し、イスラム教の戒律を厳格に守る「イラン・イスラム共和国」を誕生させました。イラン革命です。

 そのときに国を追われたパーレビ国王を米国が受け入れたことから、イランと米国の対立は始まりました。同年11月にはイランの首都テヘランの米国大使館を学生たちが占拠。大使館員が人質となり、全員の解放までに440日余りかかりました。ホメイニ師率いる革命政権は反米を掲げ、「米国は大悪魔」と対決姿勢を鮮明にしていきます。

 その革命政権が最初に手がけたのが、革命防衛隊の創設でした。正規の国軍のように、陸海空軍を備え、兵力は十数万人とされています。

 もっとも、役割は同じではありません。宮田律著『中東危機のなかの日本外交』によると、国軍が外敵との戦闘を想定しているのに対し、革命防衛隊は「対外的な戦争の他に、国内の治安維持、つまり革命体制の維持を責務」としています。革命の「輸出」も担っており、1982年にイスラエルがレバノンに軍事侵攻した際には、革命防衛隊が送り込まれ、民兵組織を訓練してヒズボラを発足させました。

 イスラエルに土地を追われ、命を脅かされているパレスチナの抵抗組織に関しても、イランが軍事訓練や武器調達にかかわっています。ハマスはスンニ派の組織ですが、厳格なシーア派国家であるイランとは宗派を超えた連帯関係にあります。イスラエルに向かう商船を紅海で攻撃するイエメンの反政府組織フーシ派も、イランが支援しています。