佐野鼎は、ニューヨーク市民の大歓迎を見ながら、逆に日本を思い出し、「山王権現」や「神田明神」の祭りを見物しているような気分になっていたというのですから、なんとも微笑ましいですね。

一晩でワイン5000本が開くほどの賑わい

 この後、使節団一行は、ニューヨーク州知事や市長と会見。セントラルパークをはじめ、市中の視察を行いました。翌日付けのニューヨーク・トリビューン紙には、使節団全員の名前と地位や役職、人物像なども紹介されていたといい、佐野鼎も「ニウスペーパー」による情報発信の早さに大変驚いたようです。

遣米使節団が訪問したニューヨーク市庁舎は、今もその姿を残している(筆者撮影)

 また、ニューヨーク市内では日本人使節に関する演劇や歌が上演され、「Japanese」と名づけられたカクテルが大人気になったり、日本にちなんだ土産物が売られたりしたそうです。佐野鼎はそうした状況についても、以下のように、日記に具体的に記していました。

『ニューヨーク滞在中にホテルの裏庭の傍らに芝居の舞台があって毎晩興行があり、見物客で賑わっていた。この興行は日本人に見せるためであったという。この地を出発する日が間近になった或る日、大芝居が開催されたが、その費用は3万ドルかかったという。夕方から始まり徹夜になり、フランス産葡萄酒が一晩で5千瓶余り飲まれたという。興行前日より見物するため数百里四方の遠方からニューヨークに大勢の人々がやってきた。この興行の費用は全て市の負担であるという。ある夜、花火が上がったが、フィラデルフィアの花火と同じで大変壮麗であった。』(内藤徹雄訳/佐野鼎遺稿「万延元年訪米日記」を読む その2 より抜粋)

 なんと、一晩でワインが5000本も消費されたとは……。

 使節団一行は、ニューヨークに13日間滞在したとのことですが、使節たちはブロードウェイで華やかな花火を見上げながら、徹夜で芝居を見たり、美味しいワインに舌鼓を打ったりしたのでしょうか。

 もちろん、彼らはニューヨーク市内の視察も欠かしませんでした。佐野鼎はこの地でアメリカ人に聾学校や盲学校を案内してもらい、初めて障害者教育の重要性を知ります。日記の中には、そのことも記しています。