台湾の金門島は目と鼻の先に中国本土がある(2018年8月20日撮影、写真:ロイター/アフロ)

 2024年2月14日午後、台湾の離島である金門島周辺の海域で、中国の漁船が転覆し、乗っていた2人が死亡した。

 台湾メディアによると、海巡署(海上保安庁に相当)の巡視艇が海上パトロールを行っていたところ、台湾が設定する「制限水域」や「禁止水域」を中国船が越え、金門島の東側の小島・北碇付近を徘徊しているとの通報を受け、急行した。

 中国船が依然として付近で操業しているのを発見し、乗船検査の作業規定に従い、中国船の方に向かうと、中国船は検査を回避しようと蛇行航行を開始した。

 1分ほど追跡した後、中国船は急に右方向に旋回し、船尾から巡視艇の右側前方に衝突し、遠心力による反動で転覆したという。

 中国船に乗っていた4人のうち2人は無事に救助したが残りの2人は搬送先の病院で死亡が確認された。

 この転覆事故後、中国政府は「台湾は中国領土の不可分の一部だ。制限水域は存在しない」と台湾側の管轄権を否定し、金門島の周辺海域で台湾の遊覧船を臨検し、さらに台湾が実効支配する金門島付近に警備艇を送り込んでいる。

 このように、中国政府はこの転覆事故を口実に、力による現状変更を試す狙いがあるとみられ、中台間の緊張が高まった。

 なぜなら、台湾有事で想定されるシナリオでは、習近平国家主席の台湾統一シナリオの第1段階は、金門島と馬祖島の封鎖から始まると見られており、対応を間違えれば武力衝突に発展する可能性があるからである。

 ところが、中台のみならず、米国をはじめ国際社会の反応も落ち着いている。その理由は2つあると筆者はみている。

 1つ目は、金馬(金門島・馬祖島)放棄論の存在である。

 1994年に民主進歩党(民進党)の施明徳主席(当時)が「金馬撤軍論(金馬放棄論)」を提唱した。

 この金馬放棄論の背景には、中華民国政府(注1)の「大陸反攻」の放棄があると言われる。

 李登輝政権は1991年に、蔣経国時代の「攻守一体」の軍事戦略を「守勢防衛」戦略に変換し、「大陸反攻」を放棄した。

 そして、金門島と馬祖島が「反攻大陸の踏み台」と呼ばれていたことは過去のこととなった。

 2つ目は、1979年1月1日、米国議会が可決した「台湾関係法」である。

 同法では「台湾」は、台湾島および澎湖島と定義(第15条)されており、金門島と馬祖島は含まれない。詳細は後述する。

 以下、初めに2月14日の中国の漁船転覆の経緯について述べ、次に金馬放棄論の概要について述べ、最後に米国の台湾防衛コミットメントの歴史について述べる。

(注1)1949年以降、中国大陸には中華人民共和国が、台湾には中華民国がそれぞれ存在している。台湾の正式な国名は「中華民国」だが、通称で「台湾」とも呼ばれる。従って、中華民国政府または台湾政府とも呼ばれる。