あのダーウィンも解明できなかったヒゲ。現在の研究では?

 しかしながら、ヒゲの進化が生き残りではなく好みの問題だとすることで、ダーウィンは真のダーウィン主義的な説明、つまり、自然選択の過程にもとづいて答えることに失敗した。

 実際、ダーウィンの戦術は、答えよりも多くの問題を提起した。ある人にとってはヒゲがきわめて魅力的な装飾となるのに、なぜ別の人にとっては忌まわしいものなのか。たんなる好みの問題だとするならば、先史時代の女性はなぜ将来の相手を拒否するほどの強い感情をかきたてられたのか。たんに見栄えだけの空虚な問題だったのだろうか。

 このような問題に直面して、ダーウィン以後の進化生物学者は苦労することになった。

 現在のところ、研究者は、ヒゲをめぐる難問に三種類の基本となる答えを提起している。最も単純なのは、ダーウィン自身が考えてから拒否したもので、ヒゲにはまったく目的がないというものである。他のすべてと同じく、進化の際にも偶然が起こる。

 たとえば、自然選択のなかで、肌をもっと強くする役割をもつような遺伝子が選ばれ、それによって、肌に何らかの色が与えられるなど、それ自体は重要でなかった二次的な効果が及ぼされることがある。顔の毛はその存在価値を特定することが難しいために、この現象の実例となりうる。

 しかし多くの科学者はそこに落ち着こうとしなかった。第一に、無意味だという推測は立証できないからである。少なくともすべてのヒトゲノムの機能が解明されるまでは、ヒゲがたんに面白半分で生えていると言い切ることはできない。科学者は物事に理由を探すので、結局のところ、それがどんなにあいまいだろうとも、ヒゲに何らかの目的があると想定する方がずっと面白いのである。

 第二の可能な答えは、ダーウィンの考えをもとにしている。つまり、ヒゲは装飾であり、先史時代の女性を魅了し、おそらくは今日の女性をも魅了しうるという考えである。この論理を支持する人は、ダーウィンが好みというあいまいな考えに頼ったのに代えて、心理学と生物学を使って女性の嗜好をより具体的に説明しようとする。

 第三の論理はその反対のアプローチをとる。毛はライバルである他の男たちを脅すための威嚇の装置であり、支配を確立するためのものだという。だとすると、女たちはヒゲそのものに惹かれるのではなく、印象的なヒゲをもつ男性が他の男たちに対してもつ社会的な優越性に惹かれることになる。>>【後編】浮上する「ヒゲは武器」説!「オレのほうが強い」とライバルを威嚇、でも誇示しすぎない「無精ヒゲ」が実はモテる 

ヒゲの文化史:男性性/男らしさのシンボルはいかにして生まれたか』(クリストファー・オールドストーン=ムーア著、渡邊昭子・小野綾香訳、ミネルヴァ書房)

【著者】
クリストファー・オールドストーン=ムーア
アメリカ合衆国オハイオ州のライト州立大学で教鞭をとり、研究活動を行っている。大学のホームページによると、1992年にシカゴ大学で歴史学の博士号を取得。近代イギリス史専攻。宗教と政治の相互作用に関心を持ち、1999年に最初の単著として牧師ヒュー・プライス・ヒューズの評伝を刊行。次が本書である。