人的資本とは、耳慣れない言葉であるかもしれない。これは労働者と一体化したスキルや知識のことで、生産性を規定する重要な要因である。学校教育、あるいは職場で教育訓練や経験を積み重ねる人的投資によって、人的資本は高まる。

 人的資本に差があれば、賃金差は生まれる。人的資本が多い人は生産性が高くなり、高賃金を受け取るが、人的資本が少ない人は生産性が上がらず低賃金となるからである。この賃金差は、人的資本の差で「説明できる格差」である。

 一方の「説明できない格差」は、人的資本が同じで、生産性が変わらない人たちにもある賃金格差のことである。そんなものがあるのかと、疑問を覚える方もいるだろう。しかし、計量経済学の手法を用いることで、推計することができる。

日本「説明できない男女賃金格差」は14.8%

 筆者が2021年のフルタイム労働者のデータを使って推計したところ、中央値での男女の賃金差は27.3%であった*4。そして、この27.3%の格差は、説明できる格差12.5%と説明できない格差14.8%に分解できることが示された。近年であっても、人的資本に差がない、つまり生産性が変わらないと考えられる男女の間に14.8%の格差が日本にもあるのである。

 説明できない格差は、主に労働市場における差別を表すと考えられている。経済学者は長年にわたって、この労働市場における差別に関する理論的検討や分析を行ってきたが、「統計的差別」と呼ばれる理論仮説がある。

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 これは生産性や勤続年数に“平均的に”男女差があるという企業の認識によって、企業が賃金の高い責任のある仕事を女性に任せないことを指す。その平均像への認識は正しいこともあれば、誤っていることもあるだろうが、いずれにせよ女性というグループの平均像が女性個々人の処遇につながっている可能性を指摘していることから、迎える帰結は同じで、男女で異なる仕事が任されることになり、男性は高賃金を受け取る一方で、女性は低賃金にとどまり、賃金差が生み出される。

 こうした認識は、必ずしも過去の情報や経験だけでなく、バイアス(偏見)に基づいていることが往々にしてある。それが無意識であることさえある。近年、このアンコンシャス・バイアス(無意識下の偏見)はダイバーシティ推進にあたって見逃せない要因として、企業の人事部を含む様々な人たちに注目され、気づきや対処のための研修も行われている。今あるバイアスに対処することは有効であろうが、そうしたバイアスが生みだされない環境を作り出すことも大切である。

「ジェンダー規範」が偏見を生む

 働くという状況下での女性へのバイアスの形成には、ジェンダーに関する社会規範の影響があることは否定できない。ジェンダー規範とは、「男性は外で働き、女性は家庭を守るべき」といった社会で共有される伝統的な性別役割分担に関する意識を指す。ジェンダー規範が強い社会では、個人が「家庭を守るべき女性は外で働くことに向いていない」といった女性に対するバイアスを持ちやすくなり、たとえば人事評価などで、無意識のうちに女性の仕事の成果を実際よりも低く評価してしまい、女性は低い賃金になるということが起こったりする。

 ジェンダー規範の解消は、バイアス形成の阻害につながることが予想されるため、男女の賃金差の是正には必要なことと考える。国際調査の結果をみると、日本は今でもジェンダー規範の強い国の1つでもある*5。その解消は決して簡単なことではない。しかし、そのための手がかりを示すエビデンスが、最近見つかっている。

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