米国大統領、ジョンF.ケネディと会談する吉田茂(写真:AP/アフロ)

「見ていてごらん。わが国は必ず立ち直るよ」。戦後、見渡す限りの焼け野原を見ながら、娘にそう語りかけた政治家がいた。戦後の日本を復興へと導いた首相の吉田茂だ。自分の国が直面する数々の困難をいかにして乗り越えていくのか。ビジョンを掲げて、それを実現すべく、国民のために粉骨砕身するのが、選挙で選ばれた政治家の役割だ。一国の総理大臣となれば、なおのことである。戦後に匹敵するほどの危機にさらされている今、まさに吉田茂のようなリーダーが求められているのではないだろうか。

(*)本稿は『賢者に学ぶ、「心が折れない」生き方 10代のうちに知っておきたい 何度でも立ち直れる、しなやかなメンタルをつくる方法』(真山知幸著/誠文堂新光社)の一部を抜粋・再構成したものです。

早朝にいきなり逮捕された

「もう自分はダメだ」

 そう絶望したはずなのに、思わぬところから大きく道が開けた。人生では、そんなことが意外とよくあります。

 吉田茂は実に5回にわたって日本のトップリーダー、つまり、内閣総理大臣を務めました。しかし、吉田が内閣総理大臣になるなど、いや、大臣になることすら、誰も予想しなかったでしょう。

 なにしろ、吉田が初めて大臣になったのは、67歳のときのこと。その前年には逮捕されて、刑務所に捕らわれていました。

 事件は、1945年4月15日の早朝に起きました。

 66歳の吉田は外交官として活躍していましたが、突然、家に憲兵がやってきて、連行されてしまいます。

 吉田が逮捕されたのは、「戦争を終わらせようとしていたから」です。日本がアメリカと戦争するなど無謀だと考えていた吉田は、開戦前から戦争を避けるために外交官として、各方面に働きかけてきました。そして、戦争が始まってしまってからは「いかにして早く終わらせるか」に力を尽くします。

 吉田と同じく早期和平を望んだのが、元内閣総理大臣の近衛文麿です。近衛は天皇に向けて、終戦を促す手紙を出そうと考えていました。その相談をしに、吉田の家を訪ねたところ、それが軍部に発覚。問題視されて逮捕されることになったのでした。

「どんな手紙だったのか白状しろ!」

 憲兵から取調べを受けても、吉田は「わからん」「知らん」で押し通しました。ついには、こんな啖呵まで切っています。

「何の罪もない俺が牢屋に入れられるのはおかしい。本当ならば貴様らがこの中にはいるべきだ」

 刑務所では、食事もろくに与えられず、どんどん痩せていきました。夜はノミ・シラミ・南京虫に襲われるなど、70歳近い吉田にはかなり過酷な状況でしたが、それでも取調べに素直に応じる気はありませんでした。

 ただ気になったのは、どこから情報が漏れたのか、ということです。吉田がどれだけ考えてもわからなかったのも、無理はありません。

 吉田が住む本邸と大磯にある別宅のそれぞれには、お手伝いさんが出入りしていたのですが、そのうちの2人が実はスパイだったのです。さらに、別宅のほうに書生が必要になると、よりによってスパイのお手伝いさんの紹介によって、憲兵軍曹が書生として入り込んできました。家の中のことは、すべて軍部に筒抜けだったということです。

 そんな真相も知らずに、吉田が獄中で時を過ごしていたある日のこと。刑務所が空襲に襲われてしまいます。まさに踏んだり蹴ったりですが、刑務所長がいち早く吉田を外へ連れ出してくれて、事なきを得ました。

 その後、吉田は刑務所を転々とし、釈放されたのは、逮捕から40日後のことでした。