逆に学校側は、Sさんを体よく宝塚から追い出すことに成功した。ただ、裁判の過程が一部の週刊誌などで報道されたことで、多くの宝塚ファンは学校の対応に不信感を募らせることにもなった。

15年前から宝塚の体質は変わっていない

 今年9月末に亡くなった宝塚歌劇団の団員Aさんの事件によって、改めて宝塚歌劇団と音楽学校の体質に世間の注目が集まっている。

 過去にSさんの事件を取材し、Aさんの事件を受けて宝塚歌劇団の木場健之理事長の会見を見た筆者が痛感するのは、宝塚の体質は何も変わっていないということだ。劇団側は形の上では謝ってみせているが、内心は、この苦境が過ぎていくのを待つだけの作戦をとっているようにも見える。

「宝塚にはいじめはない」「いじめの事実は確認できない」という態度を貫き、音楽学校や歌劇団に在籍する多数の生徒・団員のことを守ろうとするが、たとえ本人に非がなくとも、そこから弾かれた者へ手を差し伸べようとはしない。ひたすら「タカラヅカ」のブランドイメージを守ることを最優先にしているように見えるのだ。

 宝塚には熱狂的なファンが多いだけに、ブランドイメージを常に維持することは確かに最重要課題なのだろう。上級生から下級生への厳しい指導や厳格なルールもそのためにはある程度、必要なのかもしれない。しかしその陰で、そのしわ寄せが一部の生徒や団員にきている可能性があることをあまりに軽視していると言わざるを得ない。

 冒頭でも述べたが、筆者は15年前、Sさんのいじめ問題の責任を記事を通じて追及することができなかった。Sさんの代理人弁護士にも何度も取材を続けたが、「守秘義務があるために答えられない」と拒否された。逆に弁護士から「なぜそんなに夢中になって取材をしているのか」と問われたことがある。それはこの実態を世間に知らしめると同時に、今後このような事件が起きないよう宝塚側に警鐘を鳴らすためだった。

 そのためSさんの同級生にも取材を試みたが、やはり応じてくれる生徒は一人もいなかった。生徒たちも学校側の悪しき体質に染まっていたということなのかも知れない。

 それでも、あの時なんとか文字にして、学校側を厳しく批判していたらSさんも夢を諦めることはなかったかも知れないし、さらには宝塚歌劇団の一員であるAさんが25歳という若さで亡くなることもなかったかもしれない。

 今回のAさんの事件を契機として、宝塚には本気でその体質を改める努力をしてもらいたい。いわれなき理由で組織から疎外されたり過度な責任を押し付けられたりしている者がいないか、そうした人たちへの救済や配慮は十分になされているのか。学校や劇団にはそのことを常に自問しながら生徒や劇団員を見つめてしてほしい。

 それができないようでは、自慢のタカラヅカブランドも、いつか崩壊する。いや、もしかしたらすでに崩壊への序章が始まっているのかも知れないが……。

(了)