文在寅のSNSを見ていると、わりと頻繁に更新しているし、本屋をオープンしたりしている。僕は「なんで今でもSNSを更新するのだろう。一般人になりたいんじゃなかったのか」と訝しんでいた。しかし、映画を見て分かった。大統領として重責を背負っていた日々からの変化が急激すぎて、SNSを更新でもしていないと、あまりに何もない日々に耐えられないのだ。一挙手一投足がすべて注目された大統領としての職責と比べ、農作業でもするしかない今の日々はあまりに退屈なんだと思う。文在寅がそう映画の中で述べたわけではなく、あくまで僕の推測だが。「おじいさんのSNSくらい許してあげよう」と思った。

 大統領制というのは、こういうところが難しい。日本のような議院内閣制だと、元首相であってもそのまま議員として活動する人は何人もいる。野に下ってからのほうがなんなら元気な人もいる。それは人間として自然なあり方だと思う。

 想像してみてほしい。毎日スケジュールが詰まって休みを取れない日々から一転、明日からいきなり仕事がなくなるのである。想像するだけでゾッとする。燃え尽き症候群のようになってしまうのではないだろうか。

 ドキュメンタリー映画というものは、製作者が意図しない印象が観客に伝わるものだ。制作陣はおそらく、「栄光の日々を終えたのち、余生を充実して過ごす元大統領・文在寅」を描きたかったのだろう。しかし、僕には現在の文在寅の生活は空虚そのものに映った。大統領制の怖さをも感じた。仕事と人間との関係を考えさせられた。文在寅が心配にもなった。

 もし、「人間・文在寅」への共感を呼び起こすのがこの映画の目的であったとすれば、意外にもその目的は達成されているのかもしれない。なぜなら、「文在寅、あんな退屈そうな日々でメンタル大丈夫かな」と心配している自分がいるからだ。「人間・文在寅」が魅力的に描かれた続編が仮にあるなら、また見たいと思っている。

◎連載「等身大の韓国留学記」記事一覧はこちら