酒を控え始めたのはそれから約20年後の還暦手前。1899年5月、57歳の時に旅先から妻に日本酒は一滴も飲んでいないと報告している。

伊藤博文の「鹿鳴館で強制わいせつ」スキャンダル

 余談だが、伊藤は酒以上に女性好きで知られる。「箒」のあだ名を付けられていたほどだ。これは、掃いて捨てるほど関係を持っている女性がいることを意味した。明治天皇にたしなめられたこともあるというから、いかに度を過ぎていたかがわかるだろう。

 鹿鳴館時代には当時、首相職にあった伊藤が戸田伯爵夫人の極子(岩倉具視の娘)に暴行したとされるスキャンダルを起こす。これは、東京日日新聞が政府高官のスキャンダルを報じたのが端緒となった。記事は、若い貴婦人が髪を振り乱した半狂乱の体でバタバタと鹿鳴館から駆けてきたというものだ。彼女は客待ちしていた車を呼びとめ、乗るなり幌を深くおろし、とある伯爵家の前で降りたという。

 単なる憶測記事のようにも映るが、娯楽が少ない時代だけに、いくつかの続報もあり、人々の野次馬根性を刺激するには十分な材料だった。伊藤の女好きの悪評もあり、伊藤が伯爵夫人を暴行したとの噂は八方に広がり、警視総監が調査を指示する事態にまで発展する。

 これは反伊藤派の揺さぶりとの見方が支配的だが、暴行はなくても密通はあったとの指摘は少なくない。

 ちなみに、妻によって思わぬ醜聞に巻き込まれた戸田伯爵は騒動から40日あまりで、オーストリア・ハンガリー兼スイス駐在全権公使に栄転する。これまた忖度の香りが猛烈に立ちこめているのは気のせいだろうか。