生麦事件跡地 写真/フォトライブラリー

(町田 明広:歴史学者)

幕末維新人物伝2022(20)生麦事件160年ー歴史的な大転換の真相①https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/72484
幕末維新人物伝2022(21)生麦事件160年ー歴史的な大転換の真相②https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/72485
幕末維新人物伝2022(22)生麦事件160年ー歴史的な大転換の真相https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/72486

生麦事件に対するイギリスの対応

 文久2年8月21日(1862年9月14日)、生麦事件が勃発した。リチャードソンが殺害され、負傷者も出たとの一報がロンドンにもたらされると、ラッセル外相は幕府に対して、事件の発生を許したことに対する公式の謝罪、犯罪に対する罰として10万ポンド(40万ドル、当時1ポンドは約2両、現在の2万円程度)の支払いを要求したのだ。

ジョン・ラッセル

 単純に比較することははばかられるものの、現在の貨幣価値ではどの程度の金額であるのか、気になるのは仕方がないであろう。10万ポンドは、現在の金額にあえて置き換えるとすると、20億円ほどになるであろうか。この金額をどのように判断するのかは難しいが、決して少額とは言えないのではないか。

 一方で、ラッセル外相は薩摩藩に対しては、1名ないし数名のイギリス海軍士官の立会いの下に、リチャードソンを殺害し、その他の者に危害を加えた犯人を裁判にかけて処刑すること、被害に遭った4名のイギリス人関係者に分配するため、慰謝料として2万5千ポンド(10万ドル)を支払うことを要求している。現在の金額では、5億円ほどになろうか。

 ちなみに、イギリスがなぜ幕府および薩摩藩の双方に賠償を要求したのかは、後に述べることにしたい。