ウクライナの親ロシア派地域の独立を承認したロシアのプーチン大統領(写真:ロイター/アフロ)

(岡 信太郎:司法書士、合気道家、坂本龍馬研究家)

「そうだ、あの男がいたらもっと違っていただろうに・・・」と心の中で叫び続けていたのは、筆者だけだったでしょうか。

 昨年(2021年)放送されたNHK大河ドラマ「青天を衝け」。幕末から明治以降の日本の近代化が、渋沢栄一を主人公として描かれていました。その中では、西郷隆盛、大久保利通、五代友厚、松平春嶽、岩崎彌太郎といった、あの男とゆかりのある人たちも登場し物語を盛り上げていました。

 そう、あの男とは坂本龍馬のことです。彗星の如く現れ、明治になる前に消えてしまいましたが、最後の最後まで日本の近代化のために奔走していました。

 残念ながら、龍馬と栄一との直接的な関係は確認されていません。しかし、二人にはあまりにも共通点が多いことが分かっています。

 例えば、裕福な実家であったこと、江戸で剣術修行をしたこと、経済的感覚に優れていたこと、官より民の力を重視したこと──などなど、挙げれば切りがありません。

 何といっても最大の共通点が、幕府側を含めた多方面の人材と交流し、立場を変えながら絶えず自分を進化させていった点です。当時も状況が目まぐるしく変わり、日本を取り巻く国際情勢は厳しさを増していました。そんな中でも、時代の流れに押し潰されることなく、自己を見失わずに成長を続けていったのです。

 ひるがえって現代も、100年に一度と言われるパンデミックの渦中にあります。コロナ禍は3年目を迎えましたが、いまだに収束の目途が立っていません。米中対立やウクライナ問題に代表されるように、世界情勢は決して安穏としていられる状況ではなくなっています。これからの時代は、ますます不確実性が深まるばかりです。

 明治に龍馬が生きていたらという歴史に思いを巡らせつつも、このような先の見えない時代を照らす龍馬の行動力、柔軟性、先見性について少しピックアップしたいと思います。

 申し遅れましたが、私は岡信太郎(オカシンタロウ)と申します。名前は、龍馬の相棒 中岡慎太郎と似ていますが、土佐藩(高知県)出身ではありません。出身は、第二次長州征討(1866年)で激戦地の一つとなった小倉藩(北九州市)です。

「そういうあなたは歴史家か?」と言われそうですが、仕事の一つは司法書士です。一介の、それも地方の司法書士が、なぜ龍馬について記述するのかと思う方もいらっしゃるでしょう。実は、司法書士とは別に、北九州龍馬会という会を運営しています。