専用機で東京・羽田空港に帰国した小野田寛郎さん(1974年3月12日、写真:Gamma Rapho/アフロ)

(山根 一眞:ノンフィクション作家)

 フィリピンのルバング島で、終戦を伝えられず任務を遂行し続けた陸軍少尉、小野田寛郎(おのだ・ひろお)さん。密林で29年間続けたその壮絶な日々を描いた映画、『ONODA 一万夜を越えて』(2021年)は、アルチュール・アラリ監督のフランスの作品だ。

 1974年3月12日、小野田さんの29年ぶりの日本帰国は日本中を揺るがす大ニュースだった。およそ半世紀前のことだが、小野田さんの帰国後には手記や関連書籍、テレビの特集番組が多々出たが、本格的な劇映画化はこの『ONODA』が初だ。もっとも、映画化の計画がなかったわけではない。

 帰国から22年後の1996年8月、私は小野田さんと8時間におよぶインタビューを行ったが(前回記事「8時間語った小野田さん、映画『ONODA』に描かれなかった実像」を参照)、その数カ月後、ドイツ人映画監督ヴェルナー・ヘルツォーク氏を小野田さんに引き合わせている。当時ヘルツォーク監督は三枝成彰さんのオペラ「忠臣蔵」の演出担当として来日中だった。その三枝さんから「ヘルツォークさんが小野田に会いたいと言っている」と小野田さんとの面談の仲介を依頼されたのである。

「口ずさんでいた日本の歌はありますか?」

 私は、ヘルツォーク監督の代表作、『フィッツカラルド』(1982年、カンヌ国際映画祭監督賞受賞)に深く感動していた。20世紀初頭、オペラ劇場をペール・アマゾンの都市に造る野望を抱いた男の物語だ。舞台の中心はアマゾンの密林で、あまりもの現場ロケの厳しさに主役が降板し交代してやっと完成させた映画だけに、ルバング島を舞台にするヘルツォーク映画としてはうってつけだと思った。