かつて、あるダイヤモンドが合法的な輸出品なのか、あるいは密輸品なのかを見分けるのはほぼ不可能でした。

 ほんの20年ほど前まで、ダイヤモンドの取引には透明性が著しく欠けていました。例えばアフリカから世界有数のダイヤモンド市場であるアントウェルペン(アントワープ)に到着するダイヤモンドの添付書類には、原産地ではなく最終輸出国が記されていました。つまり、ダイヤモンドが複数の国を経由して最終的にアントウェルペンに到着したとしても、書類には最後に立ち寄った港がある国が記録されているだけでした。これだと、そもそもの原産地がどこなのかわかりません。もっと言うなら、合法的な輸出と、ブラックマーケットの貿易を区別することが困難になってしまうのです。

 紛争ダイヤモンドが国際的な課題とされるようになったのは2000年前後のことです。

 1999年に、未加工ダイヤモンド貿易と紛争ダイヤモンド貿易の規模の比率を推測する試みがなされました。その結果、紛争ダイヤモンド貿易は世界の未加工ダイヤモンド貿易の3.7%を占めたと推計されたのです。取引量全体の中の4%近くが「紛争ダイヤモンド」というのです。もっとも、NGOの中にはダイヤモンド取引総額に占める紛争ダイヤモンドの割合は十数%に上るとするところもあります。

 これは由々しき事態でした。そこで紛争ダイヤモンドをなくすために、動きが出てきます。

第一次産品の輸出に専念させられた欧州の植民地

 もう少し時代を遡ってみましょう。

 アフリカは、長く欧米列強の植民地でした。アフリカ諸国は、第二次世界大戦後に次々に独立していきましたが、長い植民地時代には宗主国によって工業の発展は抑えられ、もっぱら第一次産品の生産・輸出にあたらされていました。ダイヤモンドもそうした第一次産品の一つでした。

 第一次産品の輸出に専念させられていたアフリカ諸国は、独立を達成した後もなかなか経済成長を遂げることはできませんでした。政情も不安定で、持てる者と持たざる者の経済格差が激しくなるなど、それぞれの国で様々な対立が生じていました。

 その中で、国際的に和平が模索されていたのがアンゴラの内戦でした。