アルメニア人はロシアとの交易にも従事しました。ロシアとの交易の中心地は現在のロシア南部、カスピ海に面した商業都市アストラハンでした。ロシアは、1676年には、アストラハンを経由し1676年には41トンの生糸を、1712年には、44トンの生糸を輸入しています。この交易を担ったのがアルメニア人です。

イギリス、オランダに先駆けてインドに拠点

 17〜18世紀の国際貿易において世界で最も重要な拠点の一つとなったのがインドでした。インドの繊維品と生糸は、質が良く、しかも安価であったので、アジアやヨーロッパのさまざまな地域から多様なインドの綿商品を求めて商人がやってきたのです。

 そうした中、とりわけインドに食い込んでいたのがアルメニア商人です。アルメニア商人は、ムガル皇帝アクバル(在位1556〜1605年)によってインドに誘致されたと言われています。そうした経緯もあり、17世紀前半には、新ジョルファーのアルメニア商人はインドでもっとも豊かなベンガルに定住するようになっていました。新ジョルファーのアルメニア人に対して、アッバース大王時代はさまざまな保護政策がなされていましたが、大王が代わると重税が課せられたり宗教弾圧にあったりするようになります。そういった事情もあり、新ジョルファーからインドに移り住むアルメニア人が増えたのです。

 インドに拠点を構えたアルメニア人は、インド洋の海上貿易にも従事するようにもなりました。ボンベイ、チェンナイ(マドラス)、カルカッタなどに商館を建設しました。ムガル帝国は、アルメニア商人が国家を持たない民だったことから「無害」とみなし、交易の拡大を認めていたと言います。こうして彼らはインドに深く食い込んでいったのです。