背番号「19」が持つ意味

「試合ではいつもひとりだからじゃないですかね。確かにキャッチャーや、バックには守ってくれる選手がいるけど、実際に直接対戦するのはピッチャーだけ。誰も助けてはくれない。バッターも同じですよね。結局、グラウンドにいるときって誰も助けてくれない、つねに自分と相手と戦わなければいけない孤独な状態なんです。自主トレは、単なるトレーニングではなく、ひとりで戦うという状況へのトレーニングでもあるから」

 そして、寒い場所で自主トレを行う理由については「実際の試合をグアムやハワイでやらないから」と。

「つらい、ですよね」と、感想か質問か分からないような言葉をつい口にすると、「つらいですよ!」と笑われた。

 こうした「つらい」自主トレは、シーズンが終わって1週間ほど休んだ後、キャンプインまで続いていく。特にここ数年は、翌年の所属先もわからないような状態で、孤独にハードな練習に向き合ってきた。

 そこまで自分を追い込めるのは自身が語った「反骨心」があったからだ。別のタイミングで、上原はこうも言っていた。

「『反骨心』を持っていたからこそ、苦しい練習にも耐えられたし、ここまでこられたと思っています。少なくとも僕の場合は」

 上原浩治と反骨心。自身が雑草魂とも呼んだそれは、学生時代のエピソードに象徴される。

 25年前、無名の外野手は浪人を経て大阪体育大学に入部。それまでプロになった選手はひとり。決して名門とはいえないチームだったが、そこで頭角を現し、日米球界の注目の的となった。

 そして、大学3年時に選出された「大学選抜の日本代表」で忘れられない経験をする。

「代表チームには東京六大学をはじめとして名門校の選手が揃っていたのですが、彼らは試合が終わったらアンダーシャツやバッティンググローブを捨てていた。道具のほとんどが支給品だったんですね。彼らからすれば「どこ?」と言われるような名前もない大学だった僕らは、道具もすべて自腹でそろえていたので、それは目を疑う光景でした。絶対にこいつらには負けたくないと思いましたね」

 当時の大阪体育大学硬式野球部には、きちんとした後援会がなく、試合や遠征にかかるお金のほとんどを自費で賄っていた。全国大会に出場しても、勝ち進むたびに宿泊費がかさむ。「雨で試合が中止になって延期にでもなったら帰ろう、ってメンバーと話していたくらいですから」と言うほどだったのだから、名門大学の選手たちとの差に、思うところがあるのは当然だった。