先週半ば、ジャズ・トランペッターの日野皓正が彼のスクールの講演ステージ上で中学生にビンタという報道を目にし、久しぶりに胸のすくような思いでした。
今日日は大人がいろいろ思っても、子供に手を上げてあげる、なんてことはめったにありません。私など最たるもので、絶対にそんなことはできない。なぜと問われれば、端的に言えば「保身」というのが正直なところです。
東大教員まさかの体罰、とかやられたら、それこそ大変な騒ぎになりかねず、そこまで子供に親身になってやることはできない。
音楽を教える大人として、子供に、しかもステージの上でビンタを食らわすというのは、アントニオ猪木やらプロレスラーがファンに喝を入れるのとかとは次元が違う、本当に深い思いがなければ、決してやることではないでしょう。
少なくとも、東京大学では、ここまできちんとした教育は、もう未来永劫不可能じゃないかなと思います。
「理性の府」と「信念の座」
日頃、私のコラムを読んでくださっている方の中には「伊東が体罰容認。何かの間違いでは?」と思われるかもしれません。
しかし、私たち音楽家で、それなりにコンクールなどでタイトルを取って残っている者で、師匠に専門を叩き込まれなかった人など、ほとんどいないと思います。
と、そこまで書いて、実は週末、私のゼミの演奏合宿でしたので、参加してくれた芸大生たちに聞いてみると、実のところ、この頃の先生は優しくて、あまり叩いたりはしない様子であることと知りました。
ただし、親は違います。クラシック系統の音楽は幼児期からスタートする場合が多く、最初は幼児=サルみたいなものですから、叩かなければ分からないような状況です。少なくとも私自身、親からはさんざん叩かれて育ちました。
ただし、その方法は、今回のヒノテルの往復ビンタとは、ちょっと違っていました。これについては後で記しましょう。