前回葛飾北斎の「富嶽三十六景」が「べろ藍」ことベルリンブルー、つまりザクセン銀山の不純物として分離された酸化コバルトによって描かれていた事実をご紹介した。
この「富嶽三十六景」は私たちクラシックの音楽家とも実は極めて深い縁を持つ作品である。
北斎に強い刺激を受けたフランスの代表的作曲家
近代フランスを代表する作曲家=ピアニスト、クロード・アシル・ドビュッシー(1862~1918)は、北斎の「富嶽三十六景」の中の「神奈川沖波裏」に強い印象を受け、「三つの交響的素描<海>La Mer」という管弦楽曲を残している。
よく知られた古典であるこの「海」(一般には「交響詩 海」と呼ばれることが多い)が北斎の版画にインスピレーションを受けた、という話までは、逸話としてよく知られている。
だがその青が実は「べろりん藍」として長崎を通して輸入された、フランスから見れば長年の宿敵、ドイツの銀山の産物だとは、ドビュッシーもマネもモネもマラルメも、当時のフランスの芸術家の誰も知ることはなかったに違いない。
さて、だがここでちょっと待って頂きたいのだ。ザクセン銀山で取れた酸化コバルトはオランダ貿易によって日本にもたらされたのではなかったか?
だとすれば、どうして「べろりん藍」と呼ばれるのか?
「べろりん」つまりベルリンはプロイセンの首都でザクセンではない。ザクセンの都はドレスデンであり、あるいはドレスデン近郊のマイセンが陶磁器にコバルトの藍を使ったのではなかったか?
どうして、オランダ東インド会社によって長崎までもたらされたコバルト商品が「ベルリン」の刻印を捺されねばならなかったのか?