こうなると「あなたはあれだけの結果を出したじゃないか、やればできる、だから頑張りなよ」と励まされれば励まされるほど、「そうさ、俺はやればできる。まだ本気出してないだけ」という言い訳に逃げ込もうとする。

 なぜなら、「もし次に頑張ってみてひどい結果しか出なかったら、本当は自分が無能であることがみんなに知られてしまい、前の成果は偶然でしかなかったことになるかもしれない」という不安、恐怖にとりつかれるからだ。

 そんな事態になるくらいなら、「俺は本気を出せばすごい」という可能性の中に生きて、そこから出ないようにした方がよい、という判断になる。

 実は、優等生が急に不登校になったり、優秀な社員が急に出社拒否になる事例の中には、このパターンが見受けられる。結果を求められるあまり、プレッシャーに押しつぶされて、意欲を失ってしまうのだ。

 あるいは褒められ過ぎてつけあがって、ちっとも働こうとしなくなる社員が現れるのは、やはり結果だけに着目される職場環境にいるために、最高の結果が出たところで「名誉ある撤退」をしてしまい、以後は可能性の中で生きる人になってしまうからだ。

 結果という「外側」を褒めると、実は褒められた側からしたらプレッシャーでしかない。つぶれるか、歪むか、どちらかになってしまうから、要注意だ。

“内側”を褒めるには

 では、「内側」を褒めるというのは、どうしたらよいのだろう?

 私の弟が作陶家なので、それを事例に考えてみよう。