「家庭」を無視しては、女性の社会進出は果たせない。

 女性の社会進出を促進する政策が叫ばれているが、私たちは「家庭」をどのようにとらえるべきだろうか。

 日本では男性が「専業主夫」になるケースは少ない。そのためか、男性は“家庭が果たす社会的機能”にかなり無頓着だ。いまだに「女性は家庭に入るべき」と考える男性は少なくない。

 果たして、女性はどのような生き方を強いられているのだろうか? まずはその心理を分析することで、女性が社会で活躍する中での「家庭」のあり方が見えてくるかもしれない。

「できて当たり前」と見られる家事

 女性が専業主婦になる場合、「宇宙空間に放り出されたような感覚」に襲われるという。

 それまでの人生では学生、あるいは社会人として、社会と直接つながりを持って生きてきた。ところが専業主婦になると「○○さんの奥さん」「○○君のママ」と、自分の名前を呼んでもらえない。間接的にしか社会とつながれないのだ。社会とのつながりを断たれ、不安になる。

 学生や社会人の間は、勉強なり仕事なりを頑張ることで誰かが評価してくれる。しかし、専業主婦には夫か子供しか評価者がいない。しかも仕事内容は料理や洗濯、掃除といったルーチンワーク。できて当たり前、という評価しかもらえない。女性は自分の存在意義を確かめることが甚だ難しくなる。

 専業主婦の仕事、すなわち家事は、食品メーカーで言うなら品質管理の仕事に似ている。食品に毛やハエなど異物混入のない実績を10年積み上げても誰も褒めてくれないが、ハエが入ったとなれば猛烈に批判される。メーカーの信頼を支える基盤的な仕事なのに、評価してもらえないという点で似ている。