テストで100点を取ったことは、その子にとって「外側」に起きた結果に過ぎない。そして外側で起きたことというのは、自分ではどうしようもない。
たとえばプロ野球選手でも、たまたま4割の打率に到達したことがあったとしても、それを持続するのは困難だ。
営業成績でトップになったとしても、翌月以降も同じようにトップで居続けることができるのかは微妙だ。
なぜなら、その人にもどうしようもない外側の要因も絡まって、その人自身の努力ではいかんともしがたい部分が、「結果」というものにはつきまとうからだ。
なのに結果という「外側」だけ褒められると、「また同じ結果を出せと言うのか」というプレッシャーとして感じてしまう。「今回はたまたまよい結果が出たけれど、同じ結果を出せるとは限らない。どうしよう?」という戸惑いが生まれる。
すると、プレッシャーに押しつぶされて意欲を失ってしまうか、「逃避」することでなんとか自分の心を守ろうとするしかなくなる。
「逃避」とは、「俺は本気を出せばすごい、まだ本気を出していないだけ」という論理に逃げ込むことだ。
この論理に逃げ込めば、かつての成果を自分の優秀さの証拠として提示することもできるし、「やるときゃやるけど、今はやらない」という言い訳を正当化することもできる。
かつての勲章をヨロイのように身にまとって、柔らかく傷つきやすい内面を守ろうとするのだ。